ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

生きがいの場・仕組み追求

社会福祉法人「アイアイハウス」総合施設長・理事
粟津 浩一さん



 「重い障害のある人たちが、地域で生きがいを持ち安心して暮らせる場所と仕組みをどう整えるか」私たちアイアイハウスが一貫して追求するテーマです。

 利用者2人、職員2人の共同作業所から出発した私たちは31年後の今、生活介護とグループホーム、ヘルパー派遣など5種・5カ所の事業所を京都市内に展開。利用者41人(18〜65歳)、職員52人の規模に成長しました。


生活介護事業所「紫竹アイアイハウス」で、利用者の女性に声をかける粟津さん(8月23日、京都市北区紫竹上梅ノ木町)
 重い障害のある人たちの置かれた状況は、改善したとはいえ、一般の人たちと同じ当たり前の暮らしには至っていません。私たちは事業を通じ、暮らしの質をより高めていくとともに、制度充実の声を上げ続けます。

 「アイアイハウス」は、1988年、京都市北区に無認可の共同作業所として生まれました。京都府立盲学校の在校生・卒業生の保護者や教職員が「卒業後の居場所を」と、熱心に取り組んだ成果でした。視覚障害に他の障害が重複する子どもたちは当時、市内に卒業後の受け入れ先はありませんでした。

 私は学生時代、障害者福祉の知識は皆無でしたが、教員を目指す過程で府立盲学校の講師を勧められ、重複障害児のクラス担当になりました。やりがいを感じ、保護者会のお母さんたちと作業所設立を手伝ううち90年、意を決してアイアイハウスの職員になりました。

 所長を任されてからは、より多くの人を引き受けられる社会福祉法人の設立を目指し、周りの支援も得て2001年に達成できました。養護学校卒業生を中心に利用者が急増したそのころ、自分たちの力不足を思い知らされる出来事が起きました。

 草創期の利用者で、その後在宅に移り50歳になったころのAさんが、親御さんの腕の中で息を引き取られたのです。「この子より一日でも長生きできたら」が口ぐせだったお父さんは、まもなく亡くなりました。

 「親亡き後も、安心して子どもさんを託してもらえる存在になり切れていない」。深い後悔とともに、利用者・家族の暮らしを支えるため夜間も介護ができるグループホームの必要性を痛感しました。北区に適地を見つけ「アイアイホーム」(定員4人)として実現できたのは03年の秋。現在は東山区に移り(定員9人)ショートステイも併設しています。

 福祉の世界では「気付いた人が責任者」であるべきです。アイアイハウスは、京都市全域から、障害の種別や軽重に関係なく利用希望者を受け入れてきました。

 5種の事業展開により、土日曜と、日中、夜間の介護に対応できつつありますが、問題はその先。利用者とその家族の急速な高齢化です。不測の事態には、医療や看(み)取りを含めたこれまでにない支援・介護を考えなければなりません。喫緊の課題として家族会と共に制度設計にかかるつもりです。


あわづ・ひろかず
1960年、京都市生まれ。同志社大工学部中退。京都府立盲学校講師を経て90年、無認可共同作業所「アイアイハウス」職員に。2001年、家族らと社会福祉法人化を実現。京都市内で生活介護など5事業所を運営する。きょうされん(旧共同作業所全国連絡会)京都支部長。京都市北区社協副会長。