病気になっても自宅で療養して自宅で最期を迎えたいと願う人は、少なくありません。「病院に行くくらいなら死んだ方がまし」。強くそう訴えるおじいさんに出会ったのは私が35歳のころ。看護師として京都市右京区の訪問看護ステーションに勤め、地域を回っていた時期でした。
病院生活は退屈で制約が多く自由がない、という心からの叫びに共感を覚えました。「自由を尊重してあげたい。同じ思いで暮らす地域のお年寄りたちに、地域の医師と共に自分なりのやり方で在宅医療を届ける手助けをしよう」。そう決意して独立、開業したのが、アドナース(本社・京都市西京区)です。
事業を始めてすぐ、訪問看護だけで患者さんの日常を支えるのは無理だと分かりました。「家人の負担減のためにも訪問介護が欠かせない」と、そちらへ事業を広げると、今度は重い障害で昼間の行き場に窮する子どもたちの相談が寄せられ、児童支援事業も手がけるようになったのです。
開業から9年のいま、アドナースの看護・介護関連の事業所は京都と鹿児島で訪問看護2カ所と訪問介護3カ所、居宅介護支援が2カ所あります。3年前に始めた放課後等デイサービス(西京区)は、特別支援学校に通う障害の重い子どもたちに対応。発達支援のために始めた音楽療法センター(同)は重度の未就学児を受け入れています。今春は、初めての保育園(企業主導型)を鹿児島市に開設しました。
大学で経営情報を学び福祉と無縁だった私は3回生のある日、街で顔見知りだった男性が看護学校生と知りました。「男も看護師になれる。面白そう」と、目を開かれ大学卒業後、尼崎市の病院で働きながら准看護師の資格を取得。患者さんを笑顔にできる仕事にやりがいを感じ、京都市に移って正看護師になり西京区の病院で6年半、勤務しました。
病院では、退屈に苦しむ患者さんたちを見て解消策に院内ラジオ局を提案したことがあります。看護師がオリジナル番組を作り病室に流すのです。ラジオは体の負担にもならず最適と信じたのですが、実現しませんでした。この経験もあり、後に中京区の京都コミュニティ放送(京都三条ラジオカフェ)で看護師仲間と番組を持つようになりました。訪問看護の有効性PRには格好の機会で、生放送番組を現在も続けています。
アドナースの運営はNPO法人も考えたのですが、意思決定にスピード感を持ち看護師に、よい環境とより高い報酬を実現させるためにも株式会社にしました。事業の自由度が大きく、新しいことにも挑戦しやすいですからね。
今後、児童支援の継続した充実へグループホームの開設などを視野に入れています。一方で福祉にビジネスの目標管理手法を導入して、利益を確保しながらサービスを薄くしない事業モデルを作ってみたい。難題ですが諦めません。