超高齢化社会が現実になったいま、見過ごされがちな課題の一つに、「介護する人(ケアラー)たちに対するケア」があります。
職業的介護者は法や制度で守られますが、仕事を持ちながら在宅で高齢の親族を介護するようなケアラーへの支援態勢は甚だ貧弱で保険制度さえありません。
政府の働き方改革で介護休暇は整った格好ですが、職場への遠慮や企業側の無給扱いなどもあって実際に取得する人の数は、ほんのわずかです。介護離職者は年間約10万人に及び、ケアラーを確実に支えなければ、超高齢化時代は乗り切れないと感じます。
私たちは「紡ぐネットワーク」を、ケアラーによるケアラーのための「総合笑(商)社」と呼んでいます。孤独になりがちなケアラーに寄り添い、制度に基づく支援適用や居場所確保、再就労、研修に取り組んでいます。中心メンバーは4人。「笑社」は介護する人、される人が笑顔で暮らせる社会を目ざす意味です。
私がケアラー支援に取り組むのは、17年前に両親の多重介護を経験したからです。父は輸血が原因で肝炎から肝臓がんになり京都市上京区の病院に入院しました。同時に母の腎臓がんが見つかり、東山区の病院で手術が決定。働きながら小学4年生の娘を育てていた私は、二つの病院と自宅との間を駆け回りました。父は病院で死去。母は回復して89歳のいま、軽い認知症を抱えながらも私と一緒に暮らしています。
多重介護に飛び回った時、私には「介護している」意識が全くありませんでした。これは家族を世話するケアラーの多くに共通する心理なのです。介護が長引けば、自分が先に倒れてしまうかもしれない。そうなる前に周りが気付いてあげて支援する仕組みを作らなければなりません。
父の死後、福祉用具レンタル会社で働きました。営業活動で得意先の家庭を訪ね、雑談を重ねる中で多くのケアラーから「他家の親と比べてしまう」など、葛藤や悩みをたくさん聞きました。
「彼らの相談を受ける場が要る」と、仲間たちとで開いたのがコミュニティカフェ「縁(ゆかり)」です。2011年、城陽市内の民家を借り、高齢者疑似体験や認知症サポーター養成講座に取り組みましたが、支援者の辞退もありやむなく閉鎖に至りました。
当時はまだ認知症や難病支援などの分野で、ケアラーの知りたい情報がばらばらに点在していました。若年性認知症やパーキンソン病の支援団体関係者らとの交流で、必要な情報をワンストップで提供できる存在が求められていると分かりました。「紡ぐネットワーク」は、そんな要請に応じる私の二度目の挑戦です。
電話相談や介護講座なども展開中ですが、拠点がないのが悩み。今後は拠点を確保して、特に介護離職者を職場復帰につなげる活動に乗り出すつもりです。介護事業所や理解ある企業と連携してこの分野のパイオニアを目ざします。