ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

障害隠さず意思表示

長岡京市身体障がい者団体連合会会長
三好 俊昭さん



 長岡京市で活動する身体障害者の4協会(肢体障がい者、視覚障害者、難聴者、ろうあ)でつくるのが、市身体障がい者団体連合会(長障連)です。私は市肢体障がい者協会の会員でしたが、2013年から連合会会長をお引き受けしています。

 長障連は、会員約120人が互いによりよい日常生活を送れるよう、常に情報交換を行い、新知識の吸収や健康づくりなどに取り組んでいます。スポーツには特に力を入れ「全京都障害者総合スポーツ大会」のようなイベントには積極的に参加してきました。


「障害者、高齢者などへの無理解や偏見などを解消する『心のバリアフリー』についての研修を広めていきたい」と語る三好さん(1月21日、京都市中京区・京都府身体障害者団体連合会事務局)
 今は、注目のボッチャ競技の普及と選手強化に努めています。東京パラリンピックの今年、まず競技組織を誕生させ、全京都大会で好成績を残すのが目標です。

 私は中年まで健康で、銀行ひと筋に勤務していたのですが、47歳の秋に突然、病魔に襲われました。朝、職場に出ると手が震えてハンコが押せません。手足に力が入らず、帰宅して自宅近くの病院に運ばれたころには体が固まって全く動けなくなっていました。

 診断がつかないまま4日目に呼吸が止まり、人工呼吸器を付けました。すぐ京都市内の大学病院に転院して、ギラン・バレー症候群と診断されたのです。抹消神経が冒される疾患で、当時はまだよく知られていませんでした。

 完治する人も多いのですが、私の場合、最初の3日間を空費した影響で半年間も寝たきりが続き、筋力低下が残って車いすの生活になりました。京都市身体障害者リハビリテーションセンター(中京区)で訓練を続け、発症から3年1カ月後、家族のサポートもあって銀行へ車いすで復職を果たしました。新職場にスロープや多目的トイレを設置するなど配慮してくれた銀行には、本当に感謝しています。退職するまで、そこで15年勤めました。

 中途障害者になって、以前と変わったと感じるのは車いすに乗ったことだけ。もちろん、できないこともありますが、車いすでどこへでも出掛けられ、苦になりません。銀行に復職する際は、失効した免許証の再取得に挑戦。障害者向けの手動車でなく通常の車で合格して、通勤にも車を使うことができたのです。

 復職後はパターゴルフや陸上など、車いすでできるスポーツに打ち込みました。2000年の全国身体障害者スポーツ大会富山大会では、車いすスラロームと、ソフトボール投げの2競技で優勝を果たし、自信がつきました。

 障害者の一人として社会にかかわるうえで心がけているのは、障害を隠さず、助けが必要な時は進んで意思表示すること。電車に乗る際は必ず駅員さんにスロープ板を依頼します。未然に危険を防げば、鉄道会社にそれ以上の迷惑をかけずに済みますから。

 障害者団体はどこも入会者の減少と高齢化が課題です。どこまでお役に立てるかわかりませんが、今後も体が許す限り活動に携わっていくつもりです。


みよし・としあき
1948年、京都府京丹波町(旧瑞穂町)生まれ。66年、京都銀行入行。本店勤務中の95年、ギラン・バレー症候群を発症。約3年の闘病とリハビリを経て復職。2013年7月まで勤務した。闘病後に長岡京市肢体障がい者協会に加入。13年春から長岡京市身体障がい者団体連合会会長。府身体障害者団体連合会副会長ほか役職多数。