ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
支え合う絆 〜 高次能機能障害の夫と

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

2.希望を見いだし

損傷部分は他でカバー

福崎 保子さん



 高次脳機能障害となった主人には常に見守りが必要でした。顔面と右腕の骨折が完治したので、行動範囲も広がりました。普通なら身体が快方に向かい喜ばしい事なのですが、主人の場合は、頑健な身体と体力に対し、脳損傷の後遺症というアンバランスな身体と精神が原因で、3回目の転院先のリハビリ病院でもさまざまなトラブルを繰り返す事になりました。


退院後に機能回復のためのリハビリを兼ねた運動会に参加する夫を優しくサポート
 自分の病気が理解できないため「なぜ入院しているのか」「家に帰り仕事に復帰する」と主治医や看護師さんを困らせました。ここでも昼夜問わず病室を抜け出したり、夜間に歩き回るようになりました。欲求コントロールの低下で、全室禁煙も理解できず、たばこを買うために院外にタクシーで抜け出した事もありました。

 そのために、私服も禁止となり、院外でも気づいてもらえるようにとパジャマの前後に名前をゼッケンのように縫い付ける事になりました。リハビリ病院とはいえ、「高次脳機能障害」に対する理解も情報も少ない時代で、主人の行動はただのわがままな患者」というレッテルを貼られるのも仕方のない事でした。

 リハビリも進まないまま不本意な退院日が近づいた頃、その病院のケースワーカーさんに退院後の事をいろいろと相談しました。それが、主人の介護に自信をなくして途方に暮れていた私と娘を導いてくださった高次脳機能障害支援コーディネーターの方々との出会いでした。

 「滋賀県高次脳機能障害支援センター」は高次脳機能障害支援拠点で都道府県に1カ所以上設置されています。そのセンターの紹介で京都大学附属病院の脳神経外科で診察を受ける事になりました。高次脳機能障害についてよく研究されている先生で、この先生との出会いもまた主人の闘病生活の支えになりました。診断結果で脳損傷が原因による障害で、主人の場合は行動にまとまりがないという遂行機能障害、新しいことが覚えにくい記憶障害、気が散りやすいなどの注意障害に加え、やはり前頭葉にダメージを受けた事が理性をコントロールできない1番の原因でした。

 また、ケース・バイ・ケースで一人一人症状が違うため、周囲にも理解されにくいという説明でした。主人に知的障害はなく、字も書け、会話も計算もでき、地理もよくわかっていますが、記憶障害で事故前の記憶があるかと思えば5分前の記憶はなかったりという状態でした。

 何ができ、逆にどんな能力を失ったのかを調べていく必要がありました。完治することのない闘病生活が予想されましたが、「脳は一部が損傷しても、他の脳のパーツで補うことができる」という先生の言葉に希望を見いだし損傷してない脳のパーツを発達させるためのリハビリをしていこうと決心しました。

 退院後は自宅でリハビリし脳神経外科へ通院となりました。そして、障害者支援施設であるむれやま荘の通所利用に向けて、高次脳機能障害支援センターの支援を受けることとなりました。


ふくざき・やすこ
1961年大阪生まれ。83年、天理大学外国語学部卒業。2006年に夫が交通事故後、高次脳機能障害となる。介護の傍ら、長女と整体とエステ店の経営者となる。滋賀県在住。55歳。