ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
支え合う絆 〜 高次能機能障害の夫と

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

3.人格の変化と奇行の始まり

娘と2人で付きっきり

福崎 保子さん



 主人がリハビリ病院を退院してからの自宅療養生活は私と娘の生活をがらりと変えました。「高次脳機能障害」となった主人があまりにも別人のようになってしまったのです。事故前は、しっかりした人で大人と少年が同居したような所が彼の魅力の一つでもありましたが、ただの大きな子どものようになり、私も娘も戸惑う毎日でした。私や娘の姿が見えないと探し回るようになり、娘にとっても父親としての威厳も感じられなくなったようです。


食べることが大好きだった彼と温泉旅行
 満腹中枢も異常をきたし、食欲が異常に増進し、冷蔵庫にある物を片っ端から食べるようになりました。糖尿病や高血圧なども心配し、料理を薄味にしたり、量を制限し食生活の改善に努めましたが、偏食や異食が始まり、悪循環でした。

 この状況は私と娘の想像を超え、化粧品をジュースと思い飲んだり、娘が集めていたお香を食べたりとますます目が離せなくなりました。以前からよく食べ、甘党でタバコも1日2箱吸っていましたが病気もせず体重もキープしていた人でした。それだけに食事やタバコの制限はストレスだったのでしょう。その上前頭葉を損傷し、病気の自覚もなく、仕事人間だったのに仕事にも行けず、彼にしても自分の生活が急変が苦痛だったと思います。

 彼が私の手料理をおいしそうに食べてくれていた頃を思い出し、心が痛みましたが、私たちは心を鬼にしてタバコを減らし食事制限をして健康管理のために努力しました。しかし、彼の行動はますますエスカレートし、キッチンは荒され、ガスを使い火事になりかけたこともあり、冷蔵庫もロックし、IHコンロに変えたりしました。

 家で自分の思い通りにならないとわかると、外へ徘徊(はいかい)するようになりました。最初は日中私と娘が気づかない間に家を抜け出し、飲食店に行って好きなだけ食べて来るようになりました。それも注意すると今度は深夜私たちが寝静まった後に、こっそりと家を抜け出し徘徊までするようになりました。

 一日中交代で見張っているわけにもいかず、彼のストレスがたまらないように昼間散歩したり、一緒に出掛けたりしましたが、行動は変わりませんでした。

 こんな状況の中で娘は私が一人で介護は無理と考え、大学進学をやめ、時間の融通がきくフリーターとなり私と交代で介護をしてくれました。リハビリをすることで脳の発達を信じた私と娘の希望はもう元の主人に戻ることはないという絶望に変わっていくような日々でした。事故後の昏睡(こんすい)状態から意識を回復した主人に「生きていてくれてありがとう」と感謝した気持ちは人格の変化と奇行のひどさから嫌悪感に変わっていきました。毎日、私と娘は睡眠不足になり深夜勝手に徘徊しないように家中にロックをしたりいろいろな工夫を考えました。そのことが皮肉にもまた新たな事件を起こす引き金となってしまったのでした。


ふくざき・やすこ
1961年大阪生まれ。83年、天理大学外国語学部卒業。2006年に夫が交通事故後、高次脳機能障害となる。介護の傍ら、長女と整体とエステ店の経営者となる。滋賀県在住。55歳。