ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
支え合う絆 〜 高次能機能障害の夫と

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

4.「目に見えない」障害に振り回され

病院でも「わがまま」扱い

福崎 保子さん



 自宅療養中の深夜徘徊(はいかい)も家中のロックや工夫で、彼も諦めてしばらくはおとなしくテレビで深夜放送を見たり、DVDを見たりしていました。しかし、この時も私と娘はまだ「高次脳機能障害」に対する理解が不十分でした。


通所していた滋賀県立むれやま荘での運動会に参加する夫
 事故後、記憶力の低下やいろいろな能力の低下はありましたが、事故前の彼の人並みはずれた運動神経や器用さは健在でした。そのため、最初は窓の網戸をドライバーで器用にはずしたり、お風呂の窓からブラインドをはずしたりして自宅から出て行きました。壊された窓を直し、念のためにトイレの窓もロックしたりと彼と私たちの根比べになりました。


 そして私たちを奈落の底に突き落とすような出来事が起きました。自宅は3階建ての一軒家でしたが、2階と3階の間の階段の窓から彼が飛び降りたのです。奇跡的に右足の骨折だけでした。「病気を苦にしての飛び降り自殺未遂」なら同情の余地もありますが、「どうしてそんな危険な事をしたのか」と泣いて訴えた私に「前に2階から飛び降りた時はうまく行った」と悪びれもせず語る彼に失望しました。ただ外に脱出したい一心で私たちがたった1カ所ロックし忘れた窓から飛び降りたのです。


 そして、救急病院に入院となり車椅子生活となりましたが、少しも安静にせず、この入院中もまた病室を何度も抜け出し、ついに病院側から個室への移動、家族の付き添い、ヘルパーの付き添いを求められました。8カ月の個室の高額な料金プラス入院中は福祉サービスでヘルパー利用ができず自費扱いでした。


 少しでも目を離すと病室から抜け出すので、すぐに周囲が気づくようにと車椅子の後ろには鈴がいくつも付けられ、「この患者さんを見掛けたら連絡してください」と連絡先を車椅子に貼られ、病院中の名物になってしまいました。私も娘も昼夜問わず、仕事中も病院から呼び出しの連絡があり、大変な8カ月の入院生活でした。


 この病院でも「高次脳機能障害」は理解不十分だったと思います。隙を見て、病室を抜け出す知能も機転も効き、看護師さん達が追いかけてもなかなか追いつかず、かなりのスピードで車椅子を自由に操る彼を誰が「障害者」と思えるでしょうか。いくら障害者手帳を提示しても「障害者とは思えない身のこなしですね」とか「事故で仕事を失ったストレスでそんな人になったのでは」とか疑いや嫌みの言葉を聞かされました。


 集団生活のルールを守れない理性の欠如した彼はどこの病院でも「わがままな患者」でしかなく、「目に見えない」障害は「身体障害」とも「精神障害」とも分類できず、理解されていないと思いました。長年一緒に暮らした私と娘でさえ、事故後に人格変化したような彼を理解できず、別人と暮らしているような錯覚を覚える程です。


 脳の別のパーツを発達させる為に、音楽療法・スポーツ・作業療法・鍼灸(しんきゅう)院にも通い、いろいろなリハビリの結果、改善した部分もありましたが、彼の「理性の欠如」と「徘徊」はずっと変わることなく続いていくのでした。


ふくざき・やすこ

1961年大阪生まれ。
83年、天理大学外国語学部卒業。
2006年に夫が交通事故後、高次脳機能障害となる。
介護の傍ら、長女と整体とエステ店の経営者となる。滋賀県在住。55歳。