ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
支え合う絆 〜 高次能機能障害の夫と

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

5. 1人じゃない

頑張りすぎない。幸せになるために

福崎 保子さん



 高次脳機能障害となった主人の介護やリハビリの大変さを書いてきましたが、心強いサポートや励ましの中で10年間やってこられたと思っています。


支援をしてくれる滋賀県高次脳機能障害支援センター相談員と一緒に写真を撮る福崎さん(右)=草津市笠山の滋賀県立むれやま荘
 事故当時は、精神面・経済面共に頼りにしていた大黒柱の主人が倒れ、途方に暮れる毎日でした。ストレスからか胃炎・逆流性食道炎・飛蚊(ぶん)症になりました。自分一人で抱え込むところのあった私は、自分の殻に閉じこもり、人間不信になり、ご近所付き合いも自治会への参加もやめ、多くの友人との交際も自ら絶ち、二人三脚で介護してきた娘とさえお互いのストレスで傷つけ合いけんかとなりました。そんな時、高次脳機能障害支援センターの方々が「一人で抱え込まないで。障害者となった当事者さんだけでなく、介護するご家族のサポートもします」と言ってくださいました。

 地域の保健師さんたちや福祉の方々と連携して、2年間障害者支援施設の滋賀県立むれやま荘の通所を経て、作業所やショートステイを利用し、自宅には週3回ヘルパーさんが来てくれるようになりました。

 私は時間の融通が利く整体師のアルバイトをし、娘はフリーターで早朝バイト。午後からは娘と交代で主人の介護と作業所の送迎をしていました。その時3年間契約で鍼灸(しんきゅう)治療院の店舗を引き継ぐ話が出て、私と娘は自分の店なら主人の介護をしながら働けると思いました。

 私はオーナー兼整体師として、娘はエステティシャンとして働き、治療院もリラクセーションの店名に改めました。当時、治療院時代からいたスタッフの先生方がいろいろと素人の私に指導してくださり、私が整体の施術中は控室で主人を交代で看(み)てくれました。現在、先生方は独立して経営者となったり、遠方へ行かれたりでそれぞれの道を歩まれていますが、いろいろとお世話になり感謝しています。私と娘は心に闇を抱えながらも「人を癒やす仕事」を大切にしたいと仕事中は自分たちのつらさよりも「お客様の癒やし」を優先できたと思います。周りのサポートで心の余裕も笑顔も少しずつ取り戻せました。

 主人は家族と一緒が彼なりに幸せそうでしたが、相変わらず作業所、ショートステイ先、自宅、店でもトラブルを繰り返していました。それでも、ふとした瞬間に「事故したのが自分で良かった。2人じゃなくて良かったなあ」と言ってくれたり、優しい心も健在でした。

 振り返ればいつも一人ではなかった。10年前、主人の顔面骨折の手術の時も10時間ずっと付き添ってくれた友人たち、手紙や電話やメールで励まし続けてくれた友人たち、一緒に泣いたり笑ったりで側にいてくれました。「脳外傷友の会」の会員の方々も私の悩みにいろいろとアドバイスをしてくれました。周りにも頼ったり、相談して、一人で抱え込むのをやめようと思いました。その方が主人にも優しくできる。これからも背筋を伸ばして前向きに生きていこう。娘と2人笑顔で生きていこう。みんなが幸せになる為には「頑張りすぎない」事も大切だと思いました。周りのサポートに今はとても感謝しています。


ふくざき・やすこ

1961年大阪生まれ。
83年、天理大学外国語学部卒業。
2006年に夫が交通事故後、高次脳機能障害となる。
介護の傍ら、長女と整体とエステ店の経営者となる。滋賀県在住。55歳。