ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
虐待越えて

小兄がお空に昇った
自分に裁かれるんや…

島田 妙子


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 父の死から、もう27年がたちました。私たち三兄弟はそれぞれ家庭を持ち、普通の毎日がこんなに素晴らしい事なんだ、と感じながら私も3人の子どもに恵まれました。

 「虐待の連鎖はなかったのですか?」と、よく聞かれます。しかし、誰しも、あれだけつらい暴力や暴言を大切なわが子には出来ないのです。ただ、大人だっていろんな環境や感情の持ち方で一番自分の感情を出しやすい子どもに甘えてしまっているのだと思います。その中で、虐待されていた子どもが大人になってまた子どもに虐待してしまうのは「たまたま」なのです。理不尽な暴力を続けていく中で「だって自分もされていたから…」と言い訳にしてしまっているだけだと私は思います。

 戻れない過去の事をいつまでも考えずに、これから幸せになろう!兄妹でそう誓いあいました。特にすぐ上の兄、小兄は虐待されていた時も私をかばってくれました。私を守らないとアカンという思いが強かったのか、他の家よりも結びつきも強かったと思います。

 この小兄がいたから、どんな事にもへこたれず乗り切れたのかもしれませんね。父が死んでしまってからも、この小兄はいつも私を支えてくれていました。そんな大好きな、そして大切な小兄が平成22年12月に死んでしまったのです。享年40歳。平成21年1月、突然、急性骨髄性白血病に侵されました。約2年の治療もむなしくお空へ昇ってしまいました。小兄の2人の子はまだ4歳と2歳でした。

 小兄は、幼い頃に小児喘息(ぜんそく)で何度も死にかけたけど、虐待が終わった途端に喘息が治り、それからは本当に健康で元気で正義感の強い男でした。病気を宣告され、計り知れない恐怖があったはずですが、「俺で良かった。これが嫁や子どもやったらと思うと耐えられへん」と言ってつらい抗がん剤治療、子どもと会えない無菌室、そして2度の骨髄移植にも立ち向かいました。

 奇跡的に私の骨髄が適合し「小兄の命を助けることが出来るかもしれない」と私の心は震えました。移植も成功し、「寛解」と言われた矢先に肺炎になり還らぬ人となってしまったのです。

 生きたいという気持ちと死ぬかもしれないという葛藤の中で、小兄は私を呼びこう言いました。

 「人間は絶対にいつか死ぬ。生き残る人はいない。こうして死の淵(ふち)に立たされて初めて知った。この世において汚い欲は必要ない。死ぬ時に何も持っていく事は出来ないから。持っていけるのは自分がどう生きたか、人にどう接したか、誰に裁かれなくても死ぬ時に自分に裁かれるんや…」と。

 この言葉が私の魂に入ったのは、小兄が亡くなった後でした。小兄は自分の体を献体に出すと主治医に申し出ていました。本当は病気を治して、助かった命に感謝し、人のお役にたちたかったに違いありません。


しまだ・たえこ
1972年 神戸市出身。幼少期に継母と実父からの壮絶な虐待により何度も命を落としかけた。現在は関西約130園の学校・幼稚園・保育園のDVD制作会社を経営。本当の意味での「児童虐待の防止」にむけて自叙伝「e love smile〜いい愛の笑顔を〜」を執筆するとともに、「虐待」だけでなく「愛」や「命」をテーマに講演活動を積極的に行っている。また高校生の長女を筆頭に発達障がいの長男を含む3人の子の母でもある。