京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●虐待越えて
一度きりの大切な人生
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虐待は犯罪です。理不尽な暴力や暴言は人として絶対にしたらアカンことです。でも、してしまっている人の心を助けないといけない。虐待が起こってしまってから子どもを助けるのでは遅いのです。それは「防止」でなく「対処」だから。虐待は、した側、された側、どちらにも深い傷を残すだけなんです。散々虐待を受けてから助けても子どもは児童養護施設へ。親子が離散していくなんて本当に悲しいことです。
今、私は高校生を筆頭に3人の子どもの母親でもあります。どんな人も子どもが生まれたからと言って完璧な親になれる訳ではありません。「私がお母さん?」という恥ずかしさと不安がいっぱいあったけれど、何よりも自分の身体の中にこの世になかった存在が宿り、育まれ、「産まれる」という何とも神秘的なチャンスを3度もいただいたことに心から感動と感謝でいっぱいでした。
一番下の息子はアスペルガー症候群という発達障がいがありましたので、小さい頃はパニックやこだわりが強く大変な時期もありました。でも、私はこれまで3人の子どもに「出来ない事は叱らず、出来るようになった事を思いきり褒める」という育児をしました。生まれたての赤ちゃんはまっさらな美しい脳で、泣くこと以外は何もできない。出来ないのが当たり前でひとつずつ出来るようになってくるのです。「首がすわった」「ハイハイした」と出来た事をあれだけ喜んでいたのに、赤ちゃんが外の世界と接するようになってきた時に、「よそ」と比較してしまう事から余裕がなくなってきてしまいます。
大人の世界も同様です。他の家庭や社会と比べることが心の余裕をなくしてしまうのかもしれません。人間はみんな「不完全」です。得意な事もあれば不得意な事もある。だから出来ない部分を支えあい、助けあい、認めあう。みんな「不完全」な自分を認め、そんな自分も他人も愛することが大切だと思います。
出来ない事を叱らずに、出来るようになった事を心から褒めると、出来なかった事に挑戦してみようという力が生まれます。褒められた子は人の事も心から喜べる子になるんです。
「生きたい!」「人の役に立ちたい!」と強く、強く願いながら死んでいかなければならなかった人のことを思うと、人と比べたり、不平不満を言ってる時間なんてありません。一度きりしかない大切な自分の人生に勿体(もったい)ないですもんね。
今回で私のコラムは終わります。何度も死にかけた私ですが「今日この瞬間生きている」。このことだけに心から感謝しています。豊かになったこの時代、どんなに新しいモノが溢(あふ)れても大切なのは「愛」だと信じています。どんな人も、優しい人が大好きなんですよね。
(島田さんの連載は今回で終わります。4月からは第3日曜にシステムエンジニアの島本和範さんの「パパもLet’s子育て」をお届けします)