一般的には、あまり知られていないかもしれませんが、発達障害の診断基準の中に、7歳以前から不注意や多動などが始まっていること・・・というのがあります。
それなりに年齢を重ねた人同士で「最近、物忘れがひどくて」とお互いに笑って「歳だからねぇ」ということはよくあることですが、発達障害、とりわけADHD(注意欠陥・多動性障害)のある人の子ども時代のしんどさはここにあると思います。
例えば、目の前にいる幼稚園の子が「毎日、物忘れがひどい」と訴えたら、皆さんはどういわれるでしょう。
「そんな若いのに、何を言ってるの?」「もっと気を付けなさい」などと・・・「説教モード」に入りませんか??
大切なことは、本人が好きでそうなっているのではなくて「困って」いるということです。しかし、ADHDの私の場合は診断が遅れたので、子ども時代に親を始め学校でも理解されず、あまりに忘れ物が多いので「忘れ物の帝王」などと揶揄(やゆ)されたり、激しく叱責(しっせき)されたものでした。
その原因は本人の努力不足や不注意ではなくて、脳の機能障害であり、先天性の障害です。どんなに本人が忘れ物をしないように頑張っても、限界がありますから、本来は周囲がこの特性を理解して、忘れた時はどうしたらいいか、忘れないためにはどうしたらいいかなどの支援を、一緒に考える必要があるのです。
また、それ以外に私にはアスペルガー症候群があります。これも外見からはとてもわかりにくい障害で、小さなころから奇異な行動をするので、「変わった子」と言われたり、自分の言動や相手の言動の「見えない行間」を想像することが苦手なのでコミュニケーションが思うようにいかず、空気が読めないとか、人の気持ちがわからない人だと言われて非難されることも多かったです。
アスペルガー症候群の多くの人には感覚過敏という特性もあります。
私の場合は、視覚・聴覚・触覚・臭覚・味覚の五感のいずれにも過敏性があって、これが私の人生を苦しめてきました。例えば、手や顔が触覚過敏だと、ぬれた雑巾で拭き掃除をすることやミカンの皮をむくこと、顔に何か塗ること、帽子のゴムを首にかけることなどに独特の不快さがあります。小さなこどもや、言葉が少ない重度の自閉症の方などでは、不快さを言葉で表現できないので、パニックを起こして大声を出して泣いたり、暴れたりすることもあります。私も小さな子どものころはよくパニックを起こしました。
幼児期、触覚過敏のために洗髪時、顔にお湯がかかるのが苦手な私を、母が風呂場で私を仰向けにして、顔にお湯がかからないように洗っていました。母に「あんたの頭が重くて左手が腱鞘炎(けんしょうえん)になった」と小言を言われましたが、母も私がなぜそうなるか、原因がわからなかったことで、育児はしんどいとか不思議だとか思っていたと思います。
親子の間であっても、発達障害の特性への理解の有無によって、日常生活の苦労は変わってくるように思います。
ささもり・りえ 1970年、神戸市生まれ。2003年、発達障害の診断を受ける。05年、「NHK障害福祉賞」第1部門優秀賞受賞。
NPO法人特別支援教育ネットワーク「がじゅまる」理事。旧姓の逸見から「へんちゃん」と呼ばれる。著書に「へんちゃんのポジティブライフ」(明石書店)。神戸市在住。