私は第一部門・・・つまり、本人の手記の部門から選ばれて、優秀賞をいただきました。まさか、本当に入賞するなんて思っていなかったので、受賞内定の連絡をいただいた時には、もうドキドキバクバクしたものです。大人になってから表彰状をいただくことなんて、そうそうないと思ったので、それはもううれしいものでした。
しかし、この入賞の陰には実にADHD(注意欠陥多動性障害)らしいエピソードがありました。
私は応募書類を春に取り寄せていたのですが、締め切りまで結構長かったので、もうちょっとしてから書き始めようと思って、そのまますっかりと忘れていました。(今回の連載も締め切り日直前に必死で走ってます)。
それがある日、ハッと思い出して要項をよく見たら、締め切り日まで3日しかなく、慌てて8000字の原稿を書き始め、消印有効締め切り日の昼過ぎにギリギリで仕上げて郵便局から発送したのでした。
まだ締め切り日が先だから・・・と先伸ばしにするわ、おまけに、そのまま忘れてしまうわで、ほんとに私らしいですよね(笑)。
幸い、毎回なんとか仕事の締め切り日を過ぎることがないのは、ギリギリになっても締め切り日は守らねば・・・というこだわりが強いからかもしれません。もともと、時間を守ることへのこだわりは非常に強いのです。
そして、これをきっかけに「福祉ネットワーク」「ハートをつなごう」をはじめ、テレビやラジオなど様々なメディアや講演会で活動することになりました。
この受賞がなかったら、私の活動の在り方が今とはまた、ちょっと違っていたのかな・・・と思います。そういう意味で、この受賞は、発達障害の診断の次に、私の人生を変える大きな出来事だったと思います。
ちなみに、よく講演会などで「何をきっかけにカミングアウトされたのですか?」と聞かれますが、実はこれも受賞がきっかけでした。NHK障害福祉賞は、入賞した場合、実名と障害名を公表してもよいことが応募条件に入っているのです。
私は原稿を送ったとき、入賞する、しないはあまり考えていなくて、正直、あまり気にしないでスラスラっと用紙に書いて出したのでした。なので、いざ入賞して、その知らせが来た時にやっと、この条件を思い出して「あっ!」とは思ったものの、別に隠す理由も見つからなかったので、結果的にそのままテレビ出演も決まって、全国に向けてカミングアウトすることになりました。
このことについては、今も後悔はありません。むしろ実名での活動は、今や私のポリシーにもなっています。
ささもり・りえ 1970年、神戸市生まれ。2003年、発達障害の診断を受ける。05年、「NHK障害福祉賞」第1部門優秀賞受賞。
NPO法人特別支援教育ネットワーク「がじゅまる」理事。旧姓の逸見から「へんちゃん」と呼ばれる。著書に「へんちゃんのポジティブライフ」(明石書店)。神戸市在住。