ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
発達障害を個性に変えて

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

理由分からず・・・自責、虐待寸前に
育てにくかった息子たち

笹森 理絵


 あらためて子どものことを書こうと思います。

 私が持っている困難さや、苦手さもさることながら、実は息子たちにも育てにくいところがたくさんありました。しかし、子どもたちが幼いころ、その理由がわかっていなかったために、「こういう自分が母だから、子どもがうまく育たないのだ」と、長らく自責していたのです。

 1997年生まれの長男は軽度知的障害を伴う自閉症、98年生まれの二男はてんかんとADHD(注意欠陥多動性障害)です。2008年生まれの三男も発達障害の特性があり、療育手帳を持っています。

笹森さんと長男(右)、二男(左)/2003年
 上の2人の診断は、さまざまな環境要因により小学校1年生前後のころになって、理解や支援が遅れてしまいました。長男は幼いころ、なかなか言葉が出ず、3歳児検診で自分の名前を問われても答えることができなかったのですが、当時はまだ高機能自閉症とかアスペルガーという言葉もほとんど聞かれないような時代でしたので、どうも中途半端な様子の長男について、もっと頑張って育児をするようにアドバイスをされ、「様子を見ましょう」で検診は終わりました。

 インターネットもまだろくにない時代だったので、何か知りたくて本屋に行ってみても、知的な障害が併存するいわゆるカナータイプの自閉症の本しかなく、どうも長男には当てはまらないし、ほしい情報すらろくに集めることができなくて、浮かぶのは「自分の育児の結果がこれだ」ということばかり。

 言葉の遅れだけではなく、遊園地の音にパニックを起こしたり、いつもと違うことになると恐怖で玄関からも出られなくなったり、限られた物しか食べられなかったり、回るものばかり見ていたり、どうにも変わった行動が目立ち、周囲の子たちから明らかに浮いて見える長男に、いら立ちばかりが募っていきました。

 おまけにその特性がまた、自分とかぶることも多かったので、「やっぱり子どもが、そして私が悪い」と、ますます腹が立ち、「今のうちに何とかせねば」と思い詰めるあまりに、最後には虐待一歩手前の鬼母状態になったのでした。しかし・・・なぜか、もっともっと自分に似ている、多動な二男の特性については、この時はさっぱり私には見えていなかったのですが、主人はそれがずっと謎だったそうです。むしろ、主人は自分におっとりさが似ている長男よりも、多動で暴れん坊でパニックのきつい二男のほうが「何かおかしい・・・」と感じていたとか。

 私が先に診断を受け、そして、もしやと思って息子たちも受診して診断がついて、様々な困難は「息子のせいでも、私のせいでもなかった」とわかって、ほっとしたことも確かです。そこから私がしたことは、まず「知ること」でした。発達障害の特性で起こることは何か、その対処は何かなど、親の会や講演会や本でかなり学びました。そんな中、私が衝撃だったことは、「体罰」と「しつけ」の意味の違いすら自分がわかっていなかったことです。私の今までの「しつけ」は、「体罰」だったとわかって、ショックでした。


ささもり・りえ  1970年、神戸市生まれ。2003年、発達障害の診断を受ける。05年、「NHK障害福祉賞」第1部門優秀賞受賞。NPO法人特別支援教育ネットワーク「がじゅまる」理事。旧姓の逸見から「へんちゃん」と呼ばれる。著書に「へんちゃんのポジティブライフ」(明石書店)。神戸市在住。