ともに生きる・福祉のページ
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パパもLet's子育て  < 1 > 未知なる旅

出産立ち会いスイッチオン

 

島本 和範



 2005年11月、京都市中京区の産婦人科の分娩(ぶんべん)室に力強いうぶ声を上げ、長男が生まれました。この瞬間から、私は父親になった喜びとこれからの子育てへの不安とともに、未知なるパパ子育ての旅が始まったのです。

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わが子を抱き父親としての自覚を新たにする島本さん
 わが家は4人家族。長男(小3)・長女(保育園の年中)。妻は、私から見るとスーパーウーマン!。2児の母であり、フルタイムで仕事をこなし、仕事の後に毎日ごはんを手作りし、長男の宿題の内容を確認し、2人の習い事の送迎をしています。さらには、数年前から自分の趣味としてフルートを習い始めました。私は子育ての専門家ではありません。ごく普通の会社員です。職種は一般的に「きつい・きびしい・帰れない」、いわゆる3Kといわれるシステムエンジニア。

 妻と結婚して間もなく12年。私は料理が全く出来ないものの、共働きということもあり可能な範囲で家事を分担していました。家事バランスも安定して日々生活していたのですが、妻の妊娠をきっかけにさまざまなバランスが崩れ始めます。妊娠後、妻は体調が変化し、身体の様子も変わっていきます。産婦人科での超音波写真を見て、白黒の宇宙人?にしか見えない映像にもかかわらず、とてもかわいくまた嬉(うれ)しく感じました。しかし、妻のさまざまな変化とうらはらに私には変化は生じません。父親の自覚と言われても、その頃は皆無でした。

 わが家は、京都市中京区の産婦人科さんにお世話になりました。妊婦検診には、仕事が休みの土曜日の午前中に妻と一緒に行きました。院の待合室には、たくさんの妊婦さんがいらっしゃいました。父親の自覚がない状態であるものの、ほんの少しずつ産婦人科の雰囲気を感じつつありました。この自覚・関心のなさは、後々自分自身に降りかかってきます。妻が臨月を迎え、予定日の2週間前に出産の兆しかもしれないとのことで車にて産婦人科に向かうことになりました。私の中の陣痛から出産のイメージは、TVドラマのワンシーンぐらいの世界ぐらいしかなく激しい陣痛の後に出産、非常に短時間だと思っていました。あとは、難産の話を聞いたぐらいでした。

 自宅を出て約15時間後、長男が誕生しました。陣痛・破水・出産立ち会い、妻がこんなに苦しみ、そして出産する姿、誕生の瞬間を見て感動のあまり涙が止まりませんでした。人間が生まれてくるということは、本当に神秘的なことですね。立ち会い出産は、私の中のパパ子育てスイッチがパチッと切替わる瞬間でした。

 多忙の日々を送るごくごく普通の会社員の私が子育てに興味をもつようになったのは、子育て支援センターと出会い、そしてあることの言い出しっぺになったことが始まりでした。


写真 しまもと・かずのり

1976年京都市生まれ。
26歳で結婚、小3男子・年中女子の2児の父、妻もフルタイムで勤務。
仕事は、京都市左京区の精密機器メーカーのシステムエンジニア。多忙な毎日を送る中、パパ子育ての楽しさを感じながら日々生活している。