ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
ある日突然、車いす
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「何で自分がこんなことに…」。これまでに味わったことのない大きなショックの中で答えのない自問自答が続いた


生きる自信もなくして
「寝たきり」の宣告


清水 哲



 私は頸椎(けいつい)損傷というケガがどういうケガなのか、まったく知りませんでした。だから、「首の骨が折れています」と教えられても、その重大さに気付きませんでした。

 「手術は成功しましたよ」と教えてもらい、自分で指に力を入れて動かさそうと力を入れたのですが動きません。「あれ、おかしいな。手術が成功したのになんで動けへんねんやろう」と思ったのです。でもその時はまだ手術が終わってからそんなに時間もたっていなかったので、動きだすまでにはリハビリなどをして時間がかかるんだと考えました。

 ところが、手術が成功して1カ月が過ぎても2カ月が過ぎても、指1本動きません。自分自身でも回復の遅さに疑問を抱くようになりました。だから、看護師さんに「俺(おれ)、いつになったら治るの」と聞くと、「看護師の口からは何も言えない。そういう事は主治医の先生に聞いて下さい」と言われました。

 私にとっては入院生活は初めての経験です。小さいころから病気ひとつせず、元気だけが取りえでした。病院には縁がなかったので、エッ看護師さんにも言われへん事があるの、と受け取ってしまいました。

 仲の良い看護師さんやったら教えてくれるんちゃうかなと思って、仲の良い看護師さんに聞きました。その看護師さんは涙ぐみながら、「私の口からは何も言えない。本当の事が知りたければ主治医の先生に聞いて」と言うのです。そう言われた時は、これは何か大切な事が隠されていると思いました。

 一体何が隠されているのか、何が知らされていないのかを自分なりに考えました。そして、私が出した答えは「治るまで5、6年はかかる。その治るまでのリハビリが大変だから誰も本当の事を教えてくれないんだ」でした。そうは思ったものの、それぐらいやったら誰かが教えてくれるはずという思いもあって、一応、最悪のケースの答えも用意しておこうと思い、私が出した答えというのは「二度と自分の足では歩けない」でした。

 だけど、そんなことは私に限って絶対にないんだと自分に言い聞かせながら、主治医の先生に「覚悟は出来ています。本当の事を教えて下さい」と尋ねたのです。主治医の先生は、手術前と手術後と現在の状態のエックス線写真を持ってきて、わかりやすく説明してくださいました。そして最後にこう言われました。「今の医学では治せない。一生寝たきりの生活になります」。

 その時私は19歳でした。19歳から寝たきりなのか…。自分が用意していた答えよりもさらにひどい答えがかえってきて、ショックだとか目の前が真っ暗になったとか、それどころではありません。「なんで俺だけがこんな目にあわなあかんねん。俺が一体何をしたというのか。世の中には俺より悪い事をしているやつがおるのに…」。

 これから、両手両足の動かない状態で、どうやって生きていけばいいのか私にはわかりませんでした。こんな状態で生きて行く自信もありませんでした。いや、生きていても人に迷惑をかけるだけだし、なにもできなければ生きてる価値もないとさえ思いました。だから死のうと決意しました。

しみず・てつ氏
1966年生まれ。高校3年の時には、PL学園野球部の1学年後輩、桑田・清原とともに日本高校野球選抜選手に選ばれた。著書に「桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう」(ごま書房)、「車いすの不死鳥」(主婦と生活社)がある。