ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
ある日突然、車いす

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環境制御装置の呼気スイッチを使う清水さん。呼吸により電化製品の操作ができる(1998年ごろ、大阪府枚方市の自宅)

環境制御装置が助けに
課題山積の一人暮らし


清 水 哲


 私の経験から「ボランティアを頼っていてもだめだ」と考えるようになりました。それに、ボランティアはあくまでもボランティアであって、仕事ではないのです。たとえば、確実性のある自治体から派遣してもらうような形でないと安心して生活はできません。それと、私が考えていたのは、「清水哲だけが一人暮らしを実現できても意味がない。誰もが簡単にできるようにならないとダメだ」と考えていました。だから、あえて「ボランティアは使わないで、社会支援だけで一人暮らしをする」という形を選ぶ事にしました。

 そのころ「お金は出すけれども、人を派遣する事はできない」という市もあれば、枚方市のように「お金はよう出さないけれども、人は派遣する」というやり方もあるということを知りました。そして、私は枚方市に住むことにしたのです。この体制があればとりあえず朝昼晩の食事の際には確実に人を派遣してもらえるし、ご飯さえ食べられれば人間は生きてはいけるだろうと思ったのです。

 それでも、一人暮らしを始めるのにはやはり勇気が必要でした。なんと言っても、私は自分一人では何もできない身体なのですから。それに、いくら確実に人が来てくれても、一日の中で人が一緒にいてくれる時間の方が一人で過ごす時間よりもはるかに短いのです。日常生活を送るうえで考えられる課題は山積みでした。

 私は体温調整がうまくできませんので、絶対にエアコンは自分で操作する必要がありました。それには、環境制御装置があればなんとか一人暮らしができるんではないかと思いました。環境制御装置というのは、障害者でもスイッチひとつで身の周りの電化製品などをコントロールする事ができるように開発された装置です。手足が動かない私の場合でも、呼気スイッチを使い「吸う」「吹く」で電化製品の操作ができます。

 私はさっそく、その装置がすでに導入されていた兵庫県の県立リハビリセンターへ見学に行き、これがあればベッドに寝たままで冷暖房装置も操作できるし、電話もかけられる。玄関の施錠も可能になりますので、「私が一人暮らしをするには、これが絶対必要なんです!」というと、「それはわかりますが、条件がひとつあります。絶対に失敗しないこと」というのが、リハビリセンターの方からの条件でした。「一人暮らしをしたいと思っている障害者の方はいっぱいいるけれど、実際にはほとんどできていません。悪い状況がすでにある中で、さらに悪い前例が作られると、後に続けないのです。だから、やるからには必ず成功して下さい」と言われました。私は「意地でも成功させてみせます」と言いましたが、そんな自信はこれぽっちもありませんでした。でも、そういわないことには設置してもらえないと思っていたし、一人暮らしに挑戦する前に断念することだけは絶対に避けたかったのです。

 環境制御装置のおかげで「一人暮らし」の夢は実現に近づきましたが、それでも、不安の方が大きかったです。だけど、私に残された道は「一人暮らし」しかないと自分に言い聞かせていました。どうしても施設に行くのが嫌だったからです。

しみず・てつ氏
1966年生まれ。高校3年の時には、PL学園野球部の1学年後輩、桑田・清原とともに日本高校野球選抜選手に選ばれた。著書に「桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう」(ごま書房)、「車いすの不死鳥」(主婦と生活社)がある。