京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●ある日突然、車いす
結婚、家族の賛同得られず
妻との出会い
清 水 哲
妻との出会いは、私が一人暮らしをして3年ぐらいたった時に彼女がホームヘルパーさんとして派遣されてきました。
そのころのホームヘルパーさんは、私の母に近い年齢の方が多く、そういう中で彼女は比較的他のヘルパーさんよりも若く、それに、たまたまガイドヘルパーさんを探していたのですが、彼女の空いてる時間がちょうど私が必要としている時間という事もあって、都合も良く、一緒に外出を多くするようになり、一緒にいてる時間が長くなっていきました。すると、自然と、お互いに気心が知れるようにもなりました。
私は「一生、両手両足が動かない」と知った時に「結婚はしない」と決めました。それは、「幸せにしてあげられない」という事と、私が自分では何もできませんので、私の「介護漬け」になるのがわかっていたからです。「それが申し訳ない。この体の犠牲者は自分だけで充分だ」と考えていたからです。
そんな私が結婚をしようと思ったのは、障害者になって障害者の結婚がとても難しい事を友達のケースを見て、そして人から話を聞いて初めて知ったからです。
誰も障害を持ちたくて持った訳ではありません。それに、体に障害があるというだけで結婚ができないというのは、どうしても納得がいきませんでした。だから、私が「障害者でも結婚できるんだ」というところに道を付ける必要があると思っていました。そして、障害者が簡単に人間らしく生きていけるようになって欲しいという願いでもありました。
障害者の結婚が大変難しい事は知っていましたが、正直なところ「私には関係がない」と思っていました。なぜかというと、自分では何もできませんのでそんな体の状態の人と「結婚をしてもいい」と言って下さる人がいてるだけでも有り難い事なので、私が「結婚をする」と言えば家族は両手を上げて賛成してくれると考えていたからです。
ところが、私が家族に「結婚をしようと思ってる」と伝えた時に返ってきた言葉は「障害者が結婚してどうするのん!」でした。家族はそう言って、私を思いとどまらせようとしたのです。でも、私に言わせれば“どうすんのんって、障害者も人間やん”という事です。それに、この言葉は家族とは言えあまりにも失礼すぎる言葉です。と、同時に自分の家族の障害者に対する理解、意識の低さにはあきれてしまいました。しかし、家族にしてみれば、私の言っている事こそ非現実的な話でした。特に、介護の大変さが身にしみている母は、障害者の結婚なんて続くはずがないと思っていたようです。「誰が好んで、そんなしんどい思いをするのん。今だけの事で、実際に介護の生活やってみたら、絶対でけへんわ」と言われました。
それでも、一人暮らしを始めた時と同様、家族の賛同は得られなくても私の気持ちは揺らぎませんでした。そこに私の納得のいく理由がなかったからです。
しみず・てつ氏
1966年生まれ。高校3年の時には、PL学園野球部の1学年後輩、桑田・清原とともに日本高校野球選抜選手に選ばれた。著書に「桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう」(ごま書房)、「車いすの不死鳥」(主婦と生活社)がある。
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