ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
ある日突然、車いす

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手に付けたペンで書道? うまくできなくて今では口にくわえて書いています(2004年ごろ、大阪府枚方市の自宅)

かけがえのない伴侶
見切り発車の結婚生活


清 水 哲


 障害者の結婚に家族の理解が得られないというのは、とても辛く、悲しいものでしたが、ひとつ救われたのは、父が反対しなかった事です。父は、自分が脳梗塞で倒れてからは、私が一人暮らしをする事にも反対しませんでした。かつては「一人暮らしなんてとんでもない」と言って私の話にとり合わなかった父も、自分が倒れてさらに負担が大きくなった母の事を考えると、私が一人暮らしをし、さらには結婚する事もやむを得ないなと思うようになっていたんだと思います。

 もっとも、客観的に考えれば、家族が簡単に賛成しないのも仕方のない事です。色々な人から色々な話を見聞きしてきて、その度に障害者の結婚は本当に難しいなと思います。好きだったら結婚したらいいのではないか、と私は思ってしまうのですが、そういう単純な話では済まないのが今の日本なのです。

 具体的に言えば、まず生活費の問題があります。これは、とても大きな問題です。それから、介護の問題。私たち障害者は、ずっと一人では暮らしていけないので、相手の負担は頭で考える以上に大きいものです。

 もちろん、障害者でなくても、いざ結婚という事になれば、クリアしなければいけない課題は少なくないでしょう。そこで「好きだから結婚する」という思いだけで突き進む人もいるでしょうが、家族や先輩たちから「そんな甘いものじゃない」と諭されて、踏みとどまってしまうケースもよく耳にします。ですが、「好きだから耐えられる」という事もあると思うのです。

 まして障害者の場合は、社会生活を送るうえで大きなハンディがありますから、それを心配してみんなが「やめろ」というのは私にもよくわかります。

 実際に、私の場合も不安材料は山積みでした。生活費の事にしても、当時から講演の仕事をしたり、本も書いてはいましたが、そういう状況がずっと続く保証は何もありません。しかし、考えてみれば、そうした不安材料が全部解消するというような事は、私でなくても、誰でもあり得ない事だと思うのです。まして、山積みの不安材料一つ一つについて、みんなを納得させる答えは見つかるはずもありません。介護の事はもちろん、家のローンにしても、いきなり来月の支払いから滞ってしまう可能性さえあります。でも、「とにかくやってみないと本当にダメなのかどうかはわからない」と私は思っていました。だから、見切り発車しました。

 そんな中で唯一救われたのは、相手のご両親に反対されなかった事です。反対されて当然だと思っていましたので、私は正直びっくりしました。自分が親の立場だったら、「ちょっと待て」と娘に言っていたと思います。しかし、妻の家では彼女への信頼はとても強く、常日頃から彼女の意見が通るというような家庭だったみたいです。だから、この件に関しても「私が決めた人だから、それでええやろ」という感じだったんだと思います。

 あれから10年、私達の結婚生活は無事に続いています。ですが、何もなかった訳ではありません。世間一般の夫婦同様色々と問題はありましたが「お互いの忍耐」でなんとか乗り越えられてきました。これからもお互いに協力し合って頑張っていきたいと思います。

しみず・てつ氏
1966年生まれ。高校3年の時には、PL学園野球部の1学年後輩、桑田・清原とともに日本高校野球選抜選手に選ばれた。著書に「桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう」(ごま書房)、「車いすの不死鳥」(主婦と生活社)がある。