ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
ある日突然、車いす

いちかばちかで転院
命拾いと父の死


清 水 哲

写真
少年野球チームのコーチを務めている清水さん。この日はヤクルトスワローズの宮本慎也選手(左)が臨時コーチに来てくれた(2010年12月4日、大阪府守口市)

 最初、入院した時に撮ったレントゲン写真では肺の3分の1はまだ黒い部分がありましたが、このころには肺は全て真っ白という状態で、特に左の肺は機能していない状態でした。事態は深刻でした。だから、鼻から挿管され私は話もできなくなりました。

 この鼻の挿管なんですが、私の鼻の穴は7ミリの管を通されていたのですが、市民病院にある一番細いファイバースコープは7ミリだったのです。7ミリの管に7ミリのファイバースコープが入るはずもなく、初歩的なミスでますます状態は悪くなっていきました。このファイバースコープが機能していれば、ファイバースコープでタンを取る事ができて状態も良くなったんでしょうが…。そんな時に2回目の転院が決まったかと思ったのですが、受け入れ先の先生が妻が持って行ったレントゲンなどの資料を見て「救急車で5分の場所だけどその5分の間に死んでしまう」と言われました。

 その先生が言われるには、「早く気管切開をしないと死んでしまう」とのことだったので、入院先の主治医の先生に「気管切開をして下さい」とお願いしたのですが、主治医の先生は「私は気管切開をした経験がないので耳鼻科の先生にお願いする」という事になったのですが、その耳鼻科の先生の都合で、夕方に気管切開をする事になりました。

 このころ、私は死のふちをさまよい、幻覚が見えるほどでした。

 病院の中はバタバタとして慌ただしい中、主治医の先生が「関西医大の枚方の救命救急センターが受け入れてくれると言っているがどうするか」と聞かれ、私の頭の中で「ここから救急車で10分ぐらい。でも、5分も持たないと言われている。だけど、ここにいたら死んでしまうだろう。それだったらいちかばちか関西医大の救命に賭けてみよう」と思って転院を決めました。

 関西医大の救命救急に運ばれてすぐに口から挿管されました。この口からの挿管は治療的にはすごく良く、救命救急センターに入院してからは嘘のように体の状態も良くなり、見る見る回復していきました。病院も色々ありますが、こんなに違うものかと驚きました。でも、この口からの挿管はとても苦しく辛いものでした。

 私の体の状態が良くなるに連れて、父が入院し、父の容体が悪くなっていきました。私が退院して父に会いに行った時には父は意識不明でした。そして、1カ月後。父は息を引き取りました。

 今思えば父が私の身代わりになってくれたのかなと思います。だから、父が教えてくれた野球。一緒にやった野球。父が作った野球チームを私が守り、せっかく助けて頂いた命を大切にこれからも生きていこうと思っています。

しみず・てつ氏
1966年生まれ。高校3年の時には、PL学園野球部の1学年後輩、桑田・清原とともに日本高校野球選抜選手に選ばれた。著書に「桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう」(ごま書房)、「車いすの不死鳥」(主婦と生活社)がある。