ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
きょうだいとして 支援者として…3

同じ立場の仲間と話す
違った悩みや葛藤知る機会に(2016/01/18)

田中 一史



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なかよし会の1泊キャンプで参加したきょうだいのそれぞれの思いを聞く田中さん(写真奥の左から2人目)=2013年8月、兵庫県・淡路島

 私がなかよし会の代表になる頃から、きょうだい児へのレクリエーション活動だけでなく、きょうだいのことを知ってもらうために、大人のきょうだいの思いを聞く会や、各地できょうだい支援の活動をされている方を招いてのセミナーも実施しました。こういった活動は私にとっても自分の感じてきた思いがきょうだいとして決して特別なものではないこと、そして立場や年代によってそれぞれ違った悩みや葛藤を持つことを知る機会になりました。

 きょうだいとしての自分をふりかえってみると、悩みという意識はないもののさまざまな思いを抱いていたことに気づかされます。幼児期、私は弟をかわいがってはいましたが、会話は通じず自分の遊びは一緒にはできず、外で弟と一緒だと自分を二の次にして世話を焼かざるをえないことに不自由さがありました。違う幼稚園に行ったり、よくわからない場所(病院や療育施設)に通うことにも、理由がはっきりせずモヤモヤしていました。「なぜ弟は」「どうしてお兄ちゃんは」といった疑問を、きょうだい児は意外と早い時期から持っています。

 小中学生の頃、私は弟と違う学校に行きさまざまなことを楽しんでいる一方で、できないことがより明確になった弟の過ごす毎日は不自由なことばかりでした。この非情な違いは自分が弟の能力を奪って生まれてきたからではという罪の意識を私に感じさせました。きょうだいたちは自分と障害のある兄弟姉妹の違いや親との関係について、それぞれ違った複雑な思いを抱えるようです。このような思いや、兄弟姉妹によって引き起こされる悩みについて、きょうだいたちは話しても理解してもらえないと一人で抱えこんでしまうことが多いようです。

 高校から大学の頃は、親の期待に応えつづけること、弟の面倒は自分が見ると信じてきたことに負担を感じたのか、弟や両親に対しいら立っていました。また、「お兄ちゃんがしっかりしているから安心だね」という周りの何げない言葉や、調子が悪くなっていく弟に手をこまねいているようにしか見えない学校の態度にもいら立ちと失望を感じていました。きょうだい児には福祉や医療、教育の道に進む人が少なくないですが、一方で兄弟姉妹と距離を置き、障害にまつわることに冷めた目を向けるきょうだいもいます。

 そして大学を卒業して以降も、仕事や結婚など自分の生活についてさまざまなことを決めてきましたが、弟のことを抜きにしては考えたことはありませんでした。「親は半生、きょうだいは一生」とは大人のきょうだい会で聞いた言葉ですが、そこでも親との葛藤や結婚相手に理解してもらえるかといった自分とは違った悩みや、親なき後の生活のことなどについて知ることができました。

 このようなきょうだいとしての思いは、自分の一部になっていて、無かったほうがよかったとは思いません。ただ、もっと早くに同じ立場の仲間と話す機会が小さいときにあればよかったとは思います。この気持ちが「なかよし会」を続ける原動力になっています。


たなか・かずし
1974年、大阪府生まれ。
2000年、京都府立医科大卒。京都府立医科大付属病院小児科などで勤務後、06年から京都市児童福祉センターなどで児童精神科医師。
08年よりきょうだい児支援の会「なかよし会」代表。