ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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震災避難者ら運営 京都の交流拠点
ディナー事業もスタート

キッチン Nagomi


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「キッチン Nagomi」の開店準備をする錦さん(京都市下京区)

 「いらっしゃいませ」 元気な女性の声がレストラン内に響く。常連客らが待ちかねたように昼前にやってくる。京都市下京区の「キッチン Nagomi」(七条大宮通西入ル北側)のいつもの風景だ。一階が10席、2階が20席。ランチメニューはNagomi御膳、定食、キッズプレートなどがあり、飲み物ではコーヒー、カフェラテのほかに有機ざくろソーダなどもある。

 だが、ここは普通のレストランではない。2年前の東日本大震災による避難者の、京都における交流拠点なのだ。最初は「福興サロン」として避難者が集い悩みを打ち明け、情報交換する一方、さまざまな相談を寄せる場だった。そして昨年9月から避難者の就労機会の提供などを目指して同じ場所でレストラン事業を立ち上げた。

 避難者の母親を中心に一生懸命にメニューを考え真心を込めて運営してきた。今、10人前後の避難者がランチ作りにかいがいしく働く。こうした、さまざまな事業を統括するのはNPO法人(特定非営利活動法人)の「和(なごみ)」だ。9月上旬に任意団体から法人となった。

 「キッチン Nagomi」ではランチが好評だったので、ディナーも7月からスタートさせた。その中心となるのが、板前の錦炎兄さんだ。錦さんは避難者ではなく京都在住だったが、東日本大震災で衝撃を受けた一人だった。参加した会合で、放射能を避けて避難してきた母親が泣きながら現状を報告する姿に自分にも出来ることがあるはずと確信した。手探りで進むなか、「ほっこり通信」という避難者のための情報誌を立ち上げて活動していた当初からこのNagomiとは協力関係にあり、板前の経験を買われてディナー事業スタートに白羽の矢が立った。

 「失敗するわけにはいきません。必死でした。幸い好評で1階も2階もお客さんが一杯になる日もあります。人件費が出るように頑張っています」と錦さんは明るく語る。各種事業を支える事務スタッフも東北などからの避難者で、福島県や北関東から放射能の影響を逃れようと、京都に自主避難してきた。そのスタッフらは「二重生活は大変です。でも、ここに来て同じ境遇の人がたくさんいるんだということを知り、お互いの悩みを語り合うことで随分気持ちが落ち着くのです。相談にも乗ってもらえ、京都に居場所が出来ました」と喜ぶ。NPO法人「和」によれば、自主避難者の大半は子供を連れた母親だという。行政などがまとめた報告では京都府への避難者は1000人に上るというが、実際はもっと多いといわれている。こうした人のなかから「保育や教育面で補助があればいいのだが」という声も上がっている。

 錦さんは夜のディナーの調理をしながら「こうした形で震災地の東北と他地域を結ぶ拠点づくりは全国でも珍しいのでは。行政からも注目されています」と話す。NPO法人「和」では、宮城県石巻市における子育て支援、福興サロンでの生活相談、レストラン事業を三本柱として進んでいく方針だ。理事長の大塚茜さんは「みんなの暮らしの再建はまだまだこれから。避難者を対象とした相談の受け皿として続けていくには、レストランの運営も着実に進めたい。これまでの出会いを生かし、京都と東北を結んでお互いに活性化できるような活動をもっと考えていきたい」と語っている。今後もNagomiの地道で幅の広い活動がどのように展開されていくのかが注目される。