ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
見えない世界を生きる

中途失明者である松永さんは京都市在住。大きな葛藤を経て「見えないこと」を受け入れるとともに、「見えない世界」を生きる自らの体験を書きつづった『「見えない世界」で生きること』を出版するなど、「見えない世界の伝道師」を自負する人です。

松永さんには、まだまだ社会的な理解が不足し、就業面などで厳しい状況にある視覚障害者の当事者として、リアルな体験を連載してもらいます。


子供たちと出会い痛感
伝えることの大切さ


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子供たちに語りかける松永さん。ほとんどの子が目の見えない人に接するのは初めてで、興味津々。2時限90分通しの授業の最後までテンションは下がらなかった(京都市西京区・桂東小)
 朝、目が覚めると、枕元に置いてある音声時計のボタンを押す。現在時刻を機械音が知らせてくれる。光を感じられない全盲の僕はそれによって、朝の始まりを知る。そして、布団から起き出して、窓を開けると、小鳥のさえずりが聞こえる。朝を実感する。季節によっては、カーテンを開ける手の甲にあたるぬくもりで、太陽の存在に気づくこともある。そんな朝は、ふと笑顔になったりする。

 10年という時間は、僕をすっかり、見えない世界に慣れさせてくれた。朝が来れば、見えてたころと同じように、布団からごそごそ起き出して、いつもの生活が始まるのだ。見えないなりに暮らしていく人生がそこにあるのだ。ただ、僕はすっかり、見えない世界に慣れたのに、社会はなかなか僕たちに慣れてくれない。そしてそれは、僕たちの社会参加の大きな壁になっている。一人でも多くの人に僕たちのことを、見えない世界を、視覚障害を、正しく理解してほしいと思っている。正しく知ってもらえれば、きっと変わる。

 例えば、僕は毎年、福祉授業などでたくさんの小学生に出会う。子供たちは素直に感じ発言し、行動する。目が見えない僕を、ほとんど何もできないと思っている子もいるしかわいそうと言う子もいるし、不自由や不便がそのまま不幸につながると思っている子もいる。そして、これは紛れもなく、僕が見えていたころ、視覚障害者ではなかったころ、口には出さなくて、何となくイメージしていたことと同じなのだ。子供たちとの出会いの中で正しく知ること、知ってもらうことの大切さを痛感している。

 僕は子供たちに、視覚障害の意味を伝える。何故なるのか、どんなことが困るのか、どんなにしてほしいのか、体験を交えながら伝える。話を聞いてくれている子供たちは、どんどん変化していく。最初、教室に足を踏み入れた時、少しこわばっていた空気が、時間とともに、うんうんとうなずき、へぇーっとつぶやき、時には微笑(ほほえ)みだすのだ。そして、思いもかけない質問が飛び出したりする。「どうやって食事をするのですか?」、「お風呂はどうやって入るの?」などの日常への疑問から始まって、「点字ブロックの丸いのと長細いのは意味があるのですか?」、「点字は難しいですか?」などの専門的なこと、そして、「見えなくなって、良かったことはありますか?」、「神様が5分間だけ見せてくださるとしたら、何を見たいですか?」……。授業が終わって、休み時間になると、子供たちは近寄ってきて手伝いをしてくれる。どんどん手伝いをしてくれる。そして、手伝ってくれた子供は、とてもうれしそうだ。人間という生き物には、もともと、助け合うことを喜びと感じるDNAがあるのかもしれない。それが、社会を構築していくエネルギーの源なのだろう。見えなくなって生きていける生き物は、人間くらいだ。人間社会の存在に感謝しつつ見えない世界を、素敵(すてき)に生きていきたい。

まつなが・のぶや氏
鹿児島県阿久根市出身。佛教大学社会福祉学科卒業。52歳。京都府視覚障害者協会理事。福祉専門学校で講師を務めるかたわら、各地での講演活動などを精力的に行う。著書に「風になってください」(法蔵館)ほか。