ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
見えない世界を生きる

中途失明者である松永さんは京都市在住。大きな葛藤を経て「見えないこと」を受け入れるとともに、「見えない世界」を生きる自らの体験を書きつづった『「見えない世界」で生きること』を出版するなど、「見えない世界の伝道師」を自負する人です。

松永さんには、まだまだ社会的な理解が不足し、就業面などで厳しい状況にある視覚障害者の当事者として、リアルな体験を連載してもらいます。


優しく応援してくれる街
京都と視覚障害


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点字ブロックのないところは、足裏に感じる舗装の変わり目も歩くための情報だ。周囲の音で人や車の流れを判断するが、横断歩道は緊張する。「一緒に渡りましょう」のひと言がありがたい。
 「おすわりやす」。右手で白杖をつきながらバスに乗り込んだ、僕の左手を、ご婦人はそっとつかんで、自分の隣の空いた席へ誘導してくださった。「おおきに」とお礼を言いながら座ろうとする僕に、彼女は再度、「気いつけておすわりやす」と続けられた。こうして耳にする京言葉は、いつも優しくて上品な風合いをかもし出している。ひょっとしたら、京都は、見えない人間にとって、日本で一番暮らしやすい街かもしれない。他府県の人が、京都ではよく白杖の人を目にするとおっしゃるのはうなずけるような気がする。

 でも、実は、これは偶然ではない。京都の歴史と、さまざまな文化を受け入れる懐の深さが今日につながっているのだ。1878年、日本で最初の盲教育が始まったのは京都だ。また、新島襄と同志社大学を設立し、京都府議長、京都商工会議所会頭を歴任した山本覚馬は中途失明の全盲だった。昭和になって、京都ライトハウスの創始者の鳥居篤治郎は、日本の視覚障害者福祉に貢献し、京都市名誉市民となっている。現代でも、日本で最初の全盲の弁護士は、京都から生まれた。まだ、当時の法務省が点字試験を認めていなかったのを動かしたのは、本人の熱意と、それを支えてくださった多くの京都市民の応援だろう。ちなみに、全盲の臨床心理士も京都から誕生した。

 そういう快挙の底力となっているのは京都ライトハウスの存在だ。僕たち、京都府視覚障害者協会の事務所もここにあり、当事者と福祉が、車の両輪となって頑張っている。場所は、千本北大路にあり、視覚に障害のある乳幼児から高齢者まで、あらゆるニーズに対応する総合施設を目指している。誰でも見学自由だ。ぜひ、一度訪れてほしい。1階には喫茶店もあり、見えない人、少し見える人、ボランティアさんが協力して運営している。ここでコーヒーでも飲みながら、その様子でも眺めればきっと何かが変わるに違いない。

 ライトハウスだけではなくて、京都のあちこちで、僕たちのために活動してくださっているボランティアさんは数え切れない。そしてそれは、まさしく、僕たちの社会参加の大きな力となっている。

 この、ボランティアの気持ちというものは、僕たちだけではなくて、いろいろな場面で、いろいろな立場の人たちが支え合う社会につながっているのだろう。特別な活動はしていなくても、困っている僕たちに声をかけてくださる人の多さは、京都が群を抜いているような気がする。もちろん、もっともっとそういう人が増えてほしいと願って、いろいろな活動にも取り組んでいるのだが…。そんな活動を応援してくれるのも、京都はすごい街だ。例えば視覚障害の社会啓発のためのイベントに、毎年大丸デパートが場所を貸してくださる。今年も、1月21日から24日まで開催されている。こういう積み重ねが、もう一歩先へとつながっていくのだ。今日が最終日、おこしやす、大丸、あい・らぶ・ふぇあへ!

まつなが・のぶや氏
鹿児島県阿久根市出身。佛教大学社会福祉学科卒業。52歳。京都府視覚障害者協会理事。著書に『風になってください』(法蔵館)、『「見えない」世界で生きること』(角川学芸出版)。