ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
見えない世界を生きる

中途失明者である松永さんは京都市在住。大きな葛藤を経て「見えないこと」を受け入れるとともに、「見えない世界」を生きる自らの体験を書きつづった『「見えない世界」で生きること』を出版するなど、「見えない世界の伝道師」を自負する人です。

松永さんには、まだまだ社会的な理解が不足し、就業面などで厳しい状況にある視覚障害者の当事者として、リアルな体験を連載してもらいます。


幸せな大晦日の話
“見知らぬ人”のサポート


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見えない人に声をかけるとき、正面から腕などをつかむと不安感を与えるという。手の甲を相手の甲にタッチして手の位置を知らせた後、肘を持ってもらってから歩きだす
 2009年の大晦日(おおみそか)、年内にどうしてもすませたい用事があって、僕は外出した。

 桂駅でバスを降りたところで、一人の女性が僕にサポートの声をかけてくださった。「お手伝いしましょうか?」、僕は、阪急電車で烏丸駅まで行く予定を伝えると、途中まで彼女と経路は同じだった。

 僕たちは歩き始めた。僕は彼女の肘(ひじ)を持たせてもらって歩いた。改札を通り、階段を下り電車に乗った。当たり前のように、いや、見えていたら当たり前なのだが、彼女は空いている席を見つけて、僕も一緒に座らせてくださった。

 僕はつい、「大晦日に座れるなんて、ラッキーだな」とつぶやいた。つぶやいたというよりも、自然に言葉がこぼれてしまった感じだった。一瞬、会話が途切れた。僕はあわてて、いつもは、空いてる席が見つけられないので立っていることを説明した。彼女は白杖の人が電車の入り口で立っているのを、今まで何度も見かけたけれど、そんな理由があるのは気づかなかったと、これまた、言葉がこぼれてしまったような感じだった。

 電車が烏丸駅に着いた。僕は再び、彼女の肘を持たせてもらって、エスカレーターに乗り、構内を歩き、改札に向かった。サポートする方と、される方の間には、出会ってたった15分くらいなのに、阿吽(あうん)の呼吸が流れ始めていた。

 改札を出て、地下鉄の駅の前まで来て、お礼を言おうとする僕に、彼女は、おいしいお菓子があるから入れておくねと、僕の後ろにまわって、リュックサックのチャックを開けた。僕は、ちょっと早いお年玉ですねと返しながら、チャックが締まるのを待った。

 初めて出会った人から、何かをいただくなんて普通はおかしい。でも、その時の僕にはお年玉を断る気持ちなんて微塵(みじん)もなかった。それから僕たちは向かい合って、「いいお年を!」の言葉と会釈を交換して別れた。

 2009年が数時間で終わろうとするころ、僕は、一年の感謝を込めて、白杖をきれいに拭(ふ)いた。そして、リュックからお年玉を取り出した。小さな紙袋には、お抹茶のクリームのクッキーが入っていた。幸せが口中に広がった。「ありがとうございます」、どこの誰かもわからない遠くの人に向かって、言葉が声になって溢(あふ)れ出した。

 連日報道される悲惨なニュースは、すれ違う他人は危険な人かもしれないと警鐘を鳴らす。それは、現代社会の一面なのかもしれない。でも、街角で僕たちをサポートしてくれた人たちは、どこの誰かも分からない見知らぬ、いや、見知ることのできない人たちなのだ。

 僕はうれしくて、この話をいくつかの講演会場などで紹介した。先日、木津川市の民生委員研修会にお招きいただいたのだが、控室にその話をどこかで聞いていた知人がひょっこり顔を出してくれた。さりげなく手渡された紙袋には、あのお抹茶のクリームのクッキーが入っていた。人間っていいな。やっぱり、人間っていいな。

まつなが・のぶや氏
鹿児島県阿久根市出身。佛教大学社会福祉学科卒業。52歳。京都府視覚障害者協会理事。著書に『風になってください』(法蔵館)、『「見えない」世界で生きること』(角川学芸出版)。