ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
見えない世界を生きる

中途失明者である松永さんは京都市在住。大きな葛藤を経て「見えないこと」を受け入れるとともに、「見えない世界」を生きる自らの体験を書きつづった『「見えない世界」で生きること』を出版するなど、「見えない世界の伝道師」を自負する人です。

松永さんには、まだまだ社会的な理解が不足し、就業面などで厳しい状況にある視覚障害者の当事者として、リアルな体験を連載してもらいます。


正しい理解で生まれた絆
共感が起こしたそよ風


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失明後まず乗り越えねばならなかったのは、「目が見えないと何もできない」という自らの思いこみだった。それを克服して知ったのは社会の理解不足だ。「見えない世界の伝道師」として語り続ける
 突然かかってきた携帯電話の受話口から、ハッピーバースデーの歌声が流れてきた。続けて、故郷なまりのおめでとうの言葉がいくつも聞こえた。53歳の、ちょっと酔っぱらいたちのコーラスだった。風の会からの電話だと理解できた瞬間、うれしさが込み上げてきて目頭が熱くなった。外出中だった僕は、そっと、ありがとうだけを伝えて電話を切った。

 僕は、高校までを故郷の鹿児島県で過ごし大学時代から、京都で暮らすようになった。卒業後も京都で就職し、それなりに、普通の人生を歩んでいた。まさか、画像のない人生が待っているとは思わなかった。ところが、持病だった網膜色素変性症という難病が、35歳過ぎくらいからどんどん進行し、40歳で失明してしまったのだ。

 仕事も辞め、しばらくは悶々(もんもん)とした日々を過ごした。その後、京都市の中途失明者巡回相談員の方のアドバイスで、京都ライトハウスにある鳥居寮の存在を知り、一年間入所した。そこで、白杖の使い方や、点字、音声パソコンの基本などを教えてもらい、再び社会に参加することが出来た。

 僕は、僕たちのことを、正しく理解してほしいという一心で、2004年、風になってください」というエッセーを出版した。出版は編集を引き受けてくださった先輩など、いくつかの幸運が重なっての実現だった。正しい理解は、共感につながり、見える人、見えない人が、共に生きていける社会につながっていく。ささやかな本は、09年、七刷を迎えるという奇跡を起こした。「共感」という風が、少しずつ、少しずつ、まるでそよ風のように吹いてくれたのだ。

 出版直後、故郷で暮らす高校時代の親友はこの本を同級生たちに紹介した。同級生たちは、「風の会」というグループを結成して、毎年僕を一週間くらい故郷に招待してくれるようになった。未来を担う子供たちに向けて、小学校などでの講演をメーンに、医療スタッフや福祉関係者向けの研修会なども企画してくれる。そして、滞在中のサポートまでのすべてを、風の会が引き受けてくれるのだ。

 僕は、ふと思う。高校時代の同級生、実はたった3年という時間を、同じ空間で過ごしただけなのだ。実際、風の会のメンバーの名前を聞いても、思い出せない同級生も何人もいるし、もう僕には、卒業アルバムで確認することもできない。でも、そんなことはどうでもいい、紛れもない、人間同士の絆(きずな)なのだ。

 高校を卒業して35回目の桜を、第二の故郷となった京都で、今年も味わった。洛西桜まつりの会場には、地域のボランティアさんたちが、点字と手引きの体験コーナーを運営してくださった。僕も桜並木を歩き、花びらを触らせてもらった。指先に、春が微笑(ほほえ)んだ。見えないからどうでもいいのではなくて、見えなくても参加できる社会が、どれほど幸せか、もっともっとメッセージを発信していかなければと、強く思った。

まつなが・のぶや氏
鹿児島県阿久根市出身。佛教大学社会福祉学科卒業。52歳。京都府視覚障害者協会理事。著書に『風になってください』(法蔵館)、『「見えない」世界で生きること』(角川学芸出版)。