ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
見えない世界を生きる

中途失明者である松永さんは京都市在住。大きな葛藤を経て「見えないこと」を受け入れるとともに、「見えない世界」を生きる自らの体験を書きつづった『「見えない世界」で生きること』を出版するなど、「見えない世界の伝道師」を自負する人です。

松永さんには、まだまだ社会的な理解が不足し、就業面などで厳しい状況にある視覚障害者の当事者として、リアルな体験を連載してもらいます。


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松永さんは専門学校の講師も務める。この日は、福祉職を目指す生徒に見えない人をどうサポートするかを教える。相手の立場を感じ取る心遣いと互いを信頼する気持ちを大切に、コミュニケーションを積み重ねる(宇治市の京都福祉専門学校)

新しい出会いで人生豊か
コミュニケーションの数

 乾杯! 見える人、見えない人、ちょっとだけ見える人、それぞれのグラスが空中でうれしそうに重なった。

 人間の感覚は素晴らしいもので、全盲でも、グラスがひび割れるほど当てることもないし、こぼすこともない。それなりに食事もできるし、飲兵衛(のんべえ)の達人になると、酔っぱらっていても、相手のグラスにまるで見えてるように上手にビールを注ぐ。そのくせ、間違ってワサビを口に入れたりするから笑ってしまう。

 視覚障害が縁で知り合った10人のささやかな宴、生まれも育ちも、年齢もバラバラ、関西に住んでいることくらいが共通点だ。世間話から始まって、趣味、仕事のこと、福祉制度の論議からこの国の、いやこの星の未来まで…。話はつきない。愉快で豊かな時間が通り過ぎていく。

 現代の日本人が、一生の間にコミュニケーションを取る数は、だいたい1万人くらいだと聞いたことがある。1億人以上の人が暮らしていることを思えば、出会いって貴重なものなのだろう。

 見えなくなるということ、障害をもってしまうということ、これは、このコミュニケーションの数が激減するか、激増するかのどちらかになる。

 家に閉じこもりがちになれば、社会との関(かか)わりはどんどん少なくなる。見えないことには、いつか慣れる。でも、社会から閉ざされた孤独感は、悲しみ以外の何物でもない。僕たち、京都府視覚障害者協会のキャッチフレーズに、「ひとりぼっちの視覚障害者をなくそう!」というのがある。これは、その思いを経験し、乗り越えてきた先人たちが残した言葉で、人間同士の関わりの大切さ、社会との関わりの重要さを示しているのだと思う。

 見えない状態で、社会と関わろうとすれば、必然的にコミュニケーション量は増える。視覚障害は情報の障害だから、必要な情報を見える人に補ってもらうことになる。

 バスに乗れば、空いてる席を誰かが教えてくださる。買い物をすれば、店員さんにあれこれ案内してもらう。レストランで食事をすれば、運ばれた料理の配置から、内容まで説明してもらったりする。そして、一人で出歩けば、毎日必ず迷子になる。僕は、白杖での単独歩行は上手な方だが、迷子にならない日はない。見えないというのは、そういうことなのだ。

 迷子になったら、誰かに助けてもらう。迷子ではなくても、親切な人が、サポートを申し出てくださることもある。毎日のように、新しい出会いがあり、そのコミュニケーションの中で、僕たちの暮らしが成立しているのだ。

 コミュニケーションというのは、人生の交差だ。素晴らしい人たちと出会う機会も増える。失明してからの時間を振り返ると、紛れもなく、この出会いは、僕の人生を豊かにしてくれている。

 今日も、10歳の少年が質問をした。「見えなくなって、いいことはありますか?」。僕は、笑顔で答えた。「優しい、すてきな人間に、たくさん出会えることです!」

まつなが・のぶや氏
鹿児島県阿久根市出身。佛教大学社会福祉学科卒業。52歳。京都府視覚障害者協会理事。著書に『風になってください』(法蔵館)、『「見えない」世界で生きること』(角川学芸出版)。