ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
見えない世界を生きる

中途失明者である松永さんは京都市在住。大きな葛藤を経て「見えないこと」を受け入れるとともに、「見えない世界」を生きる自らの体験を書きつづった『「見えない世界」で生きること』を出版するなど、「見えない世界の伝道師」を自負する人です。

松永さんには、まだまだ社会的な理解が不足し、就業面などで厳しい状況にある視覚障害者の当事者として、リアルな体験を連載してもらいます。




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鳥居寮は京都市北区にある。この1年で約50人が点字、パソコン、歩行などの技術を学ぶ自立訓練を受けた。寮で生活しながら学ぶこともできる。取り組みの内容を広く知ってもらい、学ぶ人が増えてほしいと寮では願っている

紡がれた言葉に輝き
生命力の連鎖

 「もし、私が人生の途中で失明したら、きっと生きていけない」。

 17歳の少女から届いたメールは、そんな書き出しだった。無理もないことだろう。人間は、経験したことのない出来事をイメージする時、マイナスの部分を増幅してしまう。悲しみや苦しみの中の自分を見つめてしまう。「生きていけない」という言葉の裏側にある、「生きていきたい」という本能に気づくのは、随分後のことなのだ。

 実際に、人生の途中で、失明した時、人間の心はどう動くのか。悲しみ、苦しみどころか、怒りや挫折感まで、さまざまな感情が沸き起こる。それは、失明そのものに対してもそうだし、その結果としての、社会から取り残されていくような感覚が拍車をかけるのだ。くよくよするし、うじうじする。ただ、人は、必ず、いつかそれを受け止める。それと向かい合う。ひとつの、あきらめの境地なのかもしれないが、そこから再出発するのだ。

 特別な能力とかに当てられるスポットライトのようなものとは無縁の、普通の人間が、普通に持っている生命力なのだ。そして、その生命力は、人間同士のかかわりの中で、希望に変化し、連鎖していく。お互いの人生を、認め合い、励ましあっていくのだ。まさに、人間社会の基本の姿がそこにある。

 僕が訓練を受けた、京都ライトハウス鳥居寮の訓練修了者の会・フェニックス会が、このたび20周年記念の手作り文集を発刊した。老若男女、生まれも育ちも違う人たちが、それぞれの失明という事実とどう向かい合ったのか、紡がれた言葉の輝きは、まさに、人間の生命力の輝きだ。(問い合わせ先 京都ライトハウス鳥居寮 TEL463・6455)。

 僕は、見えなくなってから、視覚に障害のある人、視覚以外の障害のある人、生まれつき障害のある人、人生の中途で障害をかかえた人、今まさにさまざまな病気と向かい合っている人、その家族、友人、支援者、いろいろな人たちと出会った。そしてその出会いの中で、さまざまな生命の輝きに感動し、希望とか勇気とかを分けていただいたような気がする。

 例えば、今も、僕の周囲にはがんと闘っている人がいる。がんという病名を聞いて、ひるまない人はいないはずだ。僕も、自分ががんだとか言われたら、それを想像するだけでも恐怖を感じる。目が見えなくなるどころの騒ぎじゃない。それなのに、がん患者の知り合いは、しっかりと受け止めて、向かい合って、生き抜こうとしている。そのがんとの闘いの中でさえも、僕たちにエールをおくってくださる。その生命力に触れる時、感動が僕を包み、僕自身の生命もおおらかに歌いだす。

 先日、看護学校で、この話をした後、若い看護学生が僕のもとを訪れた。人間の生命力に感動して、心が震えて…。まさに、人間同士の心の連鎖だ。そして、連鎖は、円のようにつながって、最後は自分に帰り、また再び、それぞれの生きる力となっていくのだ。

まつなが・のぶや氏
鹿児島県阿久根市出身。佛教大学社会福祉学科卒業。52歳。京都府視覚障害者協会理事。著書に『風になってください』(法蔵館)、『「見えない」世界で生きること』(角川学芸出版)。