中途失明者である松永さんは京都市在住。大きな葛藤を経て「見えないこと」を受け入れるとともに、「見えない世界」を生きる自らの体験を書きつづった『「見えない世界」で生きること』を出版するなど、「見えない世界の伝道師」を自負する人です。
松永さんには、まだまだ社会的な理解が不足し、就業面などで厳しい状況にある視覚障害者の当事者として、リアルな体験を連載してもらいます。
窓ガラスをたたく雨音が、豪雨であることを教えてくれていた。僕は、リュックサックから、折りたたみ傘を出した。濡(ぬ)れるかもしれないという、心の準備もできたころ、バスは四条大宮に着いた。
「気をつけて、ゆっくり降りてください」と言ってくださった乗務員さんに、感謝を伝えながら、すべらないように、本当にゆっくり降りた。雨以外の音は、ほとんど聞こえなくなり、たった数メートル先にあるはずの地下道の入り口を探すことにさえも、不安を感じた。僕は、後続の人の邪魔にならないように、数歩進んだ。既に、ずぶ濡れ状態だった。
そこで立ち止まって、傘をさそうとしたその瞬間、僕の頭上に傘が現れた。同時に、耳元で、「どこまで行くの?」というおじいさんの声が聞こえた。阪急電車に乗ると分かったおじいさんは、両手のふさがっている僕を「引っ張るからね」と断って、地下道まで引っ張って連れていってくださった。
たった十数歩の間に、僕はおじいさんの足が不自由であることが分かった。きっと僕の移動のために、僕と同じくらいずぶ濡れになったのも想像できた。熱いものがこみ上げてきた。地下道に着いて、僕は、「ありがとうございます」と言いながら自然に右手を差し出した。
おじいさんは、何もかもを察しているように「わしは大丈夫」と笑いながら、握手してくださった。暖かい手だった。
洛西に帰り着いた時、雨はすっかりやんでいた。バスを降りて、しばらく歩いたところで、木の枝にぶつかった。白杖歩行の僕たちは空中にあるものは察知できない。運の悪い時は、お店の看板や、停車中の車のサイドミラーにぶつかったりする。だから、外出中は、必ずサングラスをかけている。
今日の木の枝は、いっぱいの雨水を含んでいた。ぶつかった瞬間、痛くはなかったけど、水をかぶったような状態になった。その時、10メートルくらいの前方から、「松永さん、大丈夫?」と、少女が駆け寄ってきた。僕が、大丈夫と答えるのと同時くらいに、彼女は笑いだした。
笑いながら、カバンからハンカチを取り出して、僕に手渡した。サングラスをはずして、顔をふく様子を見て、また、彼女は笑いだした。僕もつられて、笑いだした。ひとしきり笑った後、二人で歩き出した。
彼女は、小学校の時、福祉授業で僕の話を聞いたらしい。中学2年生になっていた。交差点まで来て、僕たちは握手をして別れた。
目が見えなくなってから、心の通う人と出会った時、いつのまにか、握手をするようになった。人間の手のぬくもりを、心から感じるようになった。
見えないよりも、見えた方がいいに決まっている。でも、見えない世界で生きること、まんざらでもない。たくさんの人と出会い、手を握り合う人生を送れればと願っている。見えても、見えなくても、素敵(すてき)な人と出会った時は、握手してみてください。きっと、ちょっとだけ、幸せになれます。
(松永氏の連載は今回で終わり)
まつなが・のぶや氏
鹿児島県阿久根市出身。佛教大学社会福祉学科卒業。52歳。京都府視覚障害者協会理事。著書に『風になってください』(法蔵館)、『「見えない」世界で生きること』(角川学芸出版)。