ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
難病患者 就労への挑戦

(4)悲しいけどコレ、現実なのよね!

大穴効果? ぶっちぎりの回復

上野山 裕久さん



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退院後ほどなくして、発病後にお世話になった企業の経営者に誘われ、貴賓室に入室する機会を得られ、そこからの眺め(2010年10月、京都市伏見区の京都競馬場)=写真は本人提供
 寝たきりになった。

 体幹に力が入らない。四肢は15秒で電池が切れて動かなくなる。寝返りは打てるが、身体は起こせない。

 ステロイドパルス療法が合わなかった。「一過性の症状だ。1週間で回復に向かう」と説明を受けたが、大みそかのTV番組を眺めるかのように、何事もなく気付けば一週間が過ぎていた。1カ月、2カ月と回復の手応えを何も感じないまま非情にも時は刻まれる。

 3カ月に達する頃にはさすがに楽観的、刹那的な私も「この状態がずーっと続くのでは」と不安を抱くようになった。  劇的に何かが変わる起因要素は見当たらなかった。その時が来るまでは…

 とある土曜日のお昼すぎ。KBS京都TVを見ていた。

 競馬中継である。

 入院の間は必ず毎週土、日は競馬をすると決めていた。術後ICUに入っている時でさえ例外は許されなかった。今は寝たきりとはいえ指は動き携帯電話のボタンは押せる。馬券は買えるのだ。休むわけにはいかない。ルーティンを崩すわけにはいかないのだ(単に競馬をしたかっただけです)

 3連単というめったに当たらないが、当たればでかい1987年に活躍した広島カープのランス外野手のような馬券を買っていた。

 ゴール前、残り400メートルの勝負!なんと1、2、3番手を駆る馬!買い目だ!この順序のままゴールすると馬券的中です。直前オッズで1万7400倍、100円の馬券が174万円になります。心臓はバクバクです。声も出ません。

 残り200メートル!

 順番が入れ変わってもダメなのです。3番手の馬が2番手に迫ります。すると後ろから4番手が3番手に肉薄!(3番手は安藤勝己騎手)

 「抜かれるな!安勝!でも抜くな!頼むそのまま耐えてくれーーーッ」心の中で叫んだ。興奮してさぶいぼ(鳥肌)がたち、背中から全身に電気が流れた気がした。その時である。悲劇が私を襲った。興奮のあまり不随意筋の内肛門括約筋が緩み、随意筋である外肛門括約筋もそれを防げなかった。

 要するにうんこをちびってしまったのだ。お尻に伝わるにゅりゅんとした感触で、尋常ではない量と判断することは容易にできた。

 焦った。看護師に知られてはいけない隠さねば!、病院なので何も隠す必要もないのだが、その時は恥ずかしさが先行しパニックを起こしていた。パンツとパジャマを脱ぎ捨て、それをも通過してシーツに達した黄土色の悪魔をひたすら拭き取っいていた。

 あれ?

 おれ身体動いているぞ?電動ベッドの力を借りず起き上がっていた。15秒たっても上肢の電池は切れなかった。この日を境にあれよあれよと回復したのである。

 「常識では考えられない出来事、アンビリバボー、あなたの身に起こるのは明日かもしれません」

 PS 馬券は外れました。うんが付いたので審議中かなりの期待感でしたがハナ差及ばずでした。


うえのやま・ひろひさ
1967年、和歌山県串本町(旧古座町)生まれ。
和歌山県立古座高卒。京都府城陽市の会計事務所で10年勤務。35歳の時、重症筋無力症(難病)を発症。41歳、合同会社パッショーネを設立し難病患者の就労を支援する活動をスタート。43歳、NPO法人京都難病支援パッショーネを設立。45歳、就労系福祉サービス事業所を設立。50歳。