ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
難病患者 就労への挑戦

(6)踏み出せばその一足が道となるのダー!

落ちた会社から、最初の契約が・・・

上野山 裕久さん


写真
パッショーネの事務所前で開設当初からの初期メンバーたちと上野山さん(右)=写真は本人提供
 難病患者が企業で働くに至るまでの道のり。体感した私には「長い道のり」「遠い道のり」「険しい道のり」どれもしっくりこない。目の前に「けもの道」すら見えない。しかし上空にドローンを飛ばして見下ろせば進むべき中継点となるオアシスが見えそうな気もした。ドローンを飛ばす行為が私にとっては法人組織をつくることであった。

 企業が難病患者の雇用を避ける理由。私が聞いた生の声をまとめたもので厚生労働省のガイドブックと差異があることを了承ください。

 1.よく休む・突然休む 業務を依頼するときは、納期に十分な余裕を与えることが常に求められる。そのため追加の業務依頼を躊躇(ちゅうちょ)してしまう。残業時間を使っての調整もできない。

 2.給与設定がわからない

 現状の給与規定にうまく当てはまらない。1日8時間、週5日働ける人は少なく短時間労働、いわゆるパートタイマー給与規定を適用する。世帯主の給与が月10万円ほどになってしまう例もあり、仕方ないで片付けていいものか。とはいえ出来高給も当てはまらない。

 3.番外編

 年配の創業経営者の方です。

 「上野山くん、難病患者にあほ、ぼけ、言えんでしょ。それにサービス残業もさせれへんし、結局のところ健常者を採用する方がコスパがええねん。病人に無理させて悪化させたらえらいこっちゃで。無理すな言うても仕事になったら、戦力になる真面目なヤツほど無理すんねんて」

 炎上確定。ではあるが、頭の片隅でチラッと考えている経営者はいてると思います。

 企業が雇用しづらいのなら、そこを攻めるのではなく仕事を受注し、給料でなく売上を得る方向に変更した。金銭を得る手段は何でもよかった。雇用契約に執着もない。先に記した「よく休む・突然休む」「給与設定がわからない」を解決できれば仕事の受注に結び付くと考え、その手段として合同会社パッショーネを設立した。9名の役員のみの構成だ。

 私が業務できなくなったら他の役員が穴埋めする。請負契約なので固定費(給与)から変動費(外注費)に認識が変わり、仕事の受注につながった。

 最初に契約できたのは面接で落ちた会社だった。面接途中に難病であることを告げ、その場で不採用、即終了となったところだ。「どうしてるの? 仕事決まった?」と電話をいただきました。「覚えてくれていて恐縮です」

 「名刺整理してたら出てきたんや、そういや会社つくるいうてはったな」。以前個人事業主として活動していたときに使っていた名刺を渡していたのを思い出した。「求職活動中のみんな! 名刺作ってチョコチョコ渡しておいた方がええで」。なぜならビジネスパーソンは名刺をすぐに捨てない習性があるからだ。

 当時の名刺の屋号はパッショーネではありませんが、今も使っているテントウ虫のロゴはこの頃から使っていました。次回パッショーネの名前とテントウ虫のお話をします。


うえのやま・ひろひさ
1967年、和歌山県串本町(旧古座町)生まれ。
和歌山県立古座高卒。京都府城陽市の会計事務所で10年勤務。35歳の時、重症筋無力症(難病)を発症。41歳、合同会社パッショーネを設立し難病患者の就労を支援する活動をスタート。43歳、NPO法人京都難病支援パッショーネを設立。45歳、就労系福祉サービス事業所を設立。50歳。