ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
難病患者 就労への挑戦

(7)「人間90%が運命や」(松下幸之助翁)

「パッショーネ」に込めた覚悟

上野山 裕久さん



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パッショーネの福利厚生イベントで初めての遠出でユニバーサル・スタジオ・ジャパンに訪れた上野山さん(左)=写真は本人提供
 名刺交換のとき「もしかして…」と約30人に1人の方が反応を示す。

「そのもしかしてです」

「ジョジョですよね?」

 ジョジョとは「ジョジョの奇妙な冒険」という「人間賛歌」をテーマに30年間、物語は8部にわたり今も続く長編漫画です。この物語の第5部にパッショーネというギャング組織が登場し、主人公の能力を象徴するのがテントウ虫なのです。

 PassioneのロゴのPの部分がテントウ虫になっていて「もしかして…」となるわけです。

 第5部の話、人間は絶対的な存在から与えられたレールの上を歩いて生きる事しかできない「運命の奴隷」である。しかし決められた運命や宿命をたどることが分かっていたとしても、それに立ち向かうのが「眠れる奴隷」だ。たとえ運命を変えることができなくとも、その誇り高い意志は誰かが感じ取り、希望となって引き継がれるというものである。

 私は「眠れる奴隷」になろう、さらに眠りから目覚め、覚悟で道を切り開くのだ! という思いを込めてパッショーネを法人の名称に入れました。

 私が難病の宣告を受け入れるのに時間を要しなかったのもこれを「運命」と認識したからだ。もし「結果」と認識すれば人は必然的に「原因」を知ろうとする。さらには「過程」について考えてしまう。「難病になったのが何故私なのだ」となってしまうのである。

 私自身、35歳で難病になることが運命や宿命で決まっていたならば快く受け入れよう。そして自分の「信じられる道」を歩いていこうと心に誓ったのだ。

 そうは言いつつ何をするでもなく、しばらくはボーっとしていた。身体が動かないわけではなかったが、ゴロゴロするのがベストな選択なのだと自分に納得させた。「寝るのも難病患者の仕事のうちですよ」。オレンジ色の髪の女性が脳裏に浮かんだ。

 根っからの怠け者でぐうたらな性格も「運命」のひとつだと都合よく解釈できるずぶとさが私の強みなのかもしれない。

 法人の名称にパッショーネの文字を入れるのは早くして決めていたが、その組織をどうしていけばいいかは自分でも分からなかった。

 通常法人を立ち上げる時は主軸となる事業があり、それを基準として設備等、求人を考える。しかし私はそれには気にも留めず、こだわったのは経営的にも人的にも軽い組織にしようということであった。

 経営的に軽い組織とは固定費をできるだけ抑えること。大規模な設備投資はしないこと。

 人的に軽い組織とは、全員が考えて判断し、素早く具体的に動ける環境にすること。

 パッショーネにはさまざまな難病を持ち、さまざまな能力、経歴を持った人が集まってくる。いわゆる多様性だ。多様性で構成する組織は柔軟な変化が求められる。「軽さ」にこだわったのはこの変化に対応するためである。


うえのやま・ひろひさ
1967年、和歌山県串本町(旧古座町)生まれ。
和歌山県立古座高卒。京都府城陽市の会計事務所で10年勤務。35歳の時、重症筋無力症(難病)を発症。41歳、合同会社パッショーネを設立し難病患者の就労を支援する活動をスタート。43歳、NPO法人京都難病支援パッショーネを設立。45歳、就労系福祉サービス事業所を設立。50歳。