ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
難病患者 就労への挑戦

(11)しくじり先生 過去の自分に学べ!!

考える前に・・・やるしかねぇだろ

上野山 裕久さん



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昨年11月に開催したパッショーネフェスタのイベントでメンバーや家族らと集合写真に納まる上野山さん(前列の左から4人目)=写真は本人提供・一部画像に修正あり
 平成30年も残り2週間。「1年過ぎるの早いねえ。年々早くなってるんちゃうのん」。師走のおっさん、おばはんの日常だ。実際地球の自転は少しずつ遅くなっていて1年は長くなっているらしい。

 思えばこの連載の話をいただいたのが1年前、今気づいたのですが、プロフィールの年齢が50歳のままになっていました。10月にひとつ年を食ってます。51歳かあ、じじいですよ。

 「私は年を重ねているのだろうか、それとも年を取っただけなのだろうか」。GACKTさんの言葉を借りると年を重ねるとは責任を重ねていく生き方で、年を取るのはその逆の責任を取り省いていく生き方である。私には子供がいない分、責任を背負える余力は多少残っているのかもしれない。まだまだ責任を取り省いていくのは先の話か。

 本日が連載最終回です。原点回帰「難病患者就労への挑戦」を振り返ります。

 この表題は私がつけたものではないですが、的確に表現してくれている。なぜなら私にとって「挑戦」は失敗が許される気楽な行為であるからだ。むしろはなから事がうまく進むはずがなかろうと考えている。船が走った後ろにできる引き波のように、予測通り、課題は後を追うように確実に発生します。パッショーネ最大の課題は表面的には生産性、付加価値が低い。シンプルに売り上げが上がらない。しかし課題の神髄は行動の基盤になっている意識の在り方にある。「売り上げがあろうがなかろうが、給料変わらんし暇つぶしでええやん。辞めたところで障害年金あるしおまけに生活保護もあるし。それに福祉施設なので簡単には辞めさせられないってよ。1日働いたらそれ以上の補助金入るんやろ、遊んでそれをもらって何が悪いねん、ある意味既得権やね」。このような考え方を持つ人を増やしているのであればパッショーネは、社会に存在する価値なしです。精神論をどれだけ語ろうが、人の考え方の奥深いところは変わらないと思っています。

 「できそうかどうかじゃねぇだろ…やれ…やるしかねぇだろ」。これじゃあパワハラになっちまうぜ。

 変えるには制度を用いて日々の行動に落とし込むことです。合理的配慮を常に意識してその上で絶対評価を心掛ける必要があります。

 制度の最終形は契約更新です。現在は全員期間の定めなしの契約となっていますが、それが悪影響となっている人には契約期間を定めて更新判断をする時期かもしれない。

 最後にお願い事ひとつ、2年以内に引っ越しを考えています。嵐山のこの場所だから通えるメンバーがいるので今の近所に事業所を構えたいと考えています。右京区嵯峨天龍寺近辺で空き家をお持ちのオーナーさん一報いただけるとうれしいです。空き事務所、空き施設、空き寺でも空き病院でも、お化け一人ぐらいなら付いてきても大丈夫です。

 今まで記事を読んでいただき、ほくそ笑んでくれた方厚くお礼申し上げます。それでは皆さま、ご自愛くださり良い亥(い)年をお迎えくださいませ。



 上野山さんの連載は今回で終わります。

うえのやま・ひろひさ
1967年、和歌山県串本町(旧古座町)生まれ。
和歌山県立古座高卒。京都府城陽市の会計事務所で10年勤務。35歳の時、重症筋無力症(難病)を発症。41歳、合同会社パッショーネを設立し難病患者の就労を支援する活動をスタート。43歳、NPO法人京都難病支援パッショーネを設立。45歳、就労系福祉サービス事業所を設立。51歳。