ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。

ふくしナウ

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

アール・ブリュット
先進性高い関西圏



 近年「アール・ブリュット」という言葉が、日本でも知られるようになった。この言葉はフランス語で、「生の芸術」という意味だ。どんな芸術作品を指すのか分かりやすく言えば、美術の専門的な教育など受けず、美術の歴史や情報などにも関心が無く、全くの自己流で「アート表現をする」人たちの生み出した作品のことを指す。このアール・ブリュットという概念は、約70年前にフランスの著名な美術作家、ジャン・デュビュッフェが名付けたものだ。彼はヨーロッパの精神科病院や、密(ひそ)かに自己流の表現をしている人達を探して訪問し、一般の美術世界には無いような生々しくストレートで、不思議な魅力を持つ表現を発掘していった。「これこそが人間の生の芸術と言えるのだ」と彼は主張したのだ。


伊藤喜彦作「鬼の面」(2004)陶土、釉薬=撮影者・大西暢夫
 では、日本ではどうであったのか。実は日本でも同じような時代に、あの裸の大将、山下清が世の中に紹介されていた。彼が世に知られるようになったのは式場隆三郎という精神科医によるところが大きい。当時、各地の会場で作品展が開かれ大きな話題となった。そのブームはさまざまな反響ではあったが、現在のような評価軸ではなく、「もの珍しい知的障害者の貼り絵」として取り上げられた感がある。

 しかし、その頃から少しずつアール・ブリュットへの関心や興味が日本でも高まり始めたのだ。特に滋賀県では、さかのぼること今から68年も前のこと。戦後の混乱期に親を亡くした孤児や障害児のための施設を設立した糸賀一雄たちの先進的な施設づくりにより、粘土を使った造形教育が始まり広がっていった。現在でも滋賀県の多くの福祉現場では全国でも類を見ないほどのユニークな粘土造形の取り組みがあり、その原点の実践は現在も変わらない。また京都府亀岡市のみずのき寮では、日本でも先陣を切った知的障害者の絵画教室が50年も前から誕生していた。そういう流れを見ると、関西圏はアール・ブリュットの先進性が高い。

 私どものボーダレス・アートミュージアムNO─MAの設立は2004年であるが、このような動きが全国的に広がり、今やそのようなミュージアムが全国的に広がってきている。時代は確実に変化してきている。NO─MAを運営する社会福祉法人では、8年前から全国、そしてアジアにも作品調査を広げている。私たち人間は何故、表現活動をするのか?この尽きないエネルギーの深い謎は、私たちの生きることの意味という謎に直結しているのだろう。

 (ボーダレスアートミュージアムNO─MA・アートディレクター はたよしこ)