ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
私は若年性認知症/藤田和子

記憶が消えた
失敗恐れ混乱、疲れ果て


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認知症について学ぶ集会で当事者としての思いを語る藤田さん(左)ら(3月10日、舞鶴市内)

 自分の記憶の異常が、単なる物忘れとは違うものだと自覚したのは、ちょうど6年前の4月でした。自分用に買っていたコーヒーゼリーを夕食後に食べようと冷蔵庫を開けました。ところがないのです。

 私には娘が3人います。誰かが食べてしまったのだと思い「お母さんのコーヒーゼリー食べた?」。すると娘たちはあぜんとして私の顔を見て「え? お母さんよく思い出してみて!」と言われ記憶をたどるとぼんやりと自分がコーヒーゼリーを食べている姿を思い出しました。けれども、それが朝だったのか昼だったのか私にははっきり思い出すことはできませんでした。

 その時私は45歳。年齢による物忘れとは言い難い。数日前の出来事ならまだしも、一日のうちの記憶がはっきり思い出せないなんて…。「若年性アルツハイマー病」という病名が私の頭に浮かんできました。

 私は看護師としての知識で記憶力低下の原因となる病気が他にもあることは知っていました。精神的なストレスも当時抱えていたため心療内科の先生にも相談しましたが、まずは脳の機能を確認してもらったほうがよいと勧められました。そこで、鳥取市内の総合病院の脳神経内科を受診しました。

 (認知症の有無を知能面から検査する)長谷川式の問診では異常なく、MRIではやや海馬の委縮がみられる程度でした。脳の血流を見る検査(SPECT)での血流低下の部位と、私が日々感じる記憶の低下による日常生活における違和感から、若年性アルツハイマー病であろうという診断を受けましたが、医師は治療に関して積極的ではありませんでした。

 「一生飲み続けないといけない薬を今から飲んでどうするのか?」と言い、私自身もその薬(アリセプト)を飲むことで、周囲にアルツハイマー病だと知られることを恐れていました。「1年後に再検査を」と言われて不安を抱えながらも治療はせず、日々を過ごすことになりました。

 その当時働いていた個人病院では、特に大きなミスはありませんでした。けれども、漢字が思い出せなかったり、済ませたことを忘れ、まだやっていないと思い戸惑ったりなど、一人で混乱しながら働いていました。

 家に帰ると疲れ果てて横になる、いらいらして家族に当たり散らす、不眠になる─など不安からくる症状と、料理をするときに二つのなべを火にかけていると、一方のことを忘れるなど、一つ一つのことに神経を使い、日常生活を送ることに非常に疲れていました。


 若年性アルツハイマー病と診断されて6年になります。生活のしにくさを抱えながらも、自立を続けています。それは、記憶に関わる異変に気付き、治療を開始するまで、そう長くかからなかったこと、そして周囲の人たちに伝え、ありのままの私を理解し、支えてもらっていることが大きな鍵となっています。連載にあたり、その重要性を多くの人に伝えたいと思います。


ふじた・かずこ
1961年、鳥取市生まれ。看護学校卒業後、看護師として市内の総合病院に9年間勤務。認知症の義母の介護を9年間行った後、市内の個人病院に復職し8年間勤める。2007年6月、若年性アルツハイマー病と診断され、その後退職。10年11月、若年性認知症にとりくむ会「クローバー」を設立し代表に。11年11月から、鳥取市差別のない人権尊重の社会づくり協議会委員。