ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
私は若年性認知症/藤田和子

待たされた治療
早期投薬への理解乏しく


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第12回若年性認知症研究会中国大会のさいにテレビ局の取材を受ける藤田さん(左)(2011年10月10日、鳥取県米子市内)

 2007年、私は若年性アルツハイマー病と診断されました。しかし、初めにかかった病院の医師は、早期治療で患者の生活の質が保たれることへの理解がなかったように思います。

 どうせ治らない病気、治療する意味があるのか? まだしっかりしているのにアルツハイマー病と診断するのに意味があるのか…。おそらく6年たった今でもそう考える医師たちは少なくないのだと感じます。

 診断を受けてから1年間、私は生活することすべてにエネルギーを使い、疲れ果てていました。買い物をするのにも広い場所では頭がくらくらして、何を買うのだったのか? メモした紙が必要でした。今日の予定を記憶することが辛くなり、常にカレンダーとにらめっこして行動。それでも家族は、いらいらして感情的になる私に付き合ってくれていました。

 日常生活の段取りを考えるだけで頭痛が生じていました。夜は眠れず血圧が上がり、不整脈も現れ身体も心も疲れてしまいました。

 看護師の仕事は、できれば続けたかったのですが、08年3月で退職しました。同年5月、再検査を受けるために前年の総合病院を受診しました。その時の医師の態度は、とても信頼関係を築けるようなものではありませんでした。

 認知機能が落ちて混乱していることを訴えても「まだしっかりしてるのだから」と言われ、さらに私が人として劣っていることが問題であるかのような言葉をかけられました。そもそも私は、アルツハイマー病である可能性を心配して受診し、診断されれば適切な治療を受けられるものだと思っていました。治療を受けずに過ごした1年間は、認知症への誤解と偏見があるのだということを感じる日々でもありました。

 以前の職場の医師が、適切な治療を受けるには専門医に診てもらうのが一番だと紹介してくれて、現在の主治医と出会うことができました。そこで認知機能を低下させるあらゆる病気を視野に、さまざまな検査を受けることができました。最終的に私が若年性アルツハイマー病という診断を受けることができたのは、髄液(ずいえき)中βアミロイドの検査結果によってでした。やっとその年の7月からアルツハイマー病の進行を遅らせるアリセプトの内服を始めることができました。自分が症状に気がついてから1年3カ月。治療を受けるまでにずいぶんかかったと思いますが、この病気の場合、治療を始めるのに数年かかることもあるようです。気づきから治療を始める期間が短ければ脳の正常な機能を多く残し、よい状態を保つことができる可能性があるのです。

 私もアリセプトを飲むようになり、生活の中で混乱することが減り、料理をするときも二つの鍋を同時に使うことができるようになっています。ただ、一度に色々なことをしなければいけなかったり、不安なことが増えたりすると混乱をきたし、急に症状が進んだかのようになることもあります。そういうときは混乱する私への周囲の人の励ましが薬になることもあります。こうして早期診断治療と、周囲の人々に勇気づけられ、6年たった今でも比較的良い状態を保つことができています。


ふじた・かずこ
1961年、鳥取市生まれ。看護学校卒業後、看護師として市内の総合病院に9年間勤務。認知症の義母の介護を9年間行った後、市内の個人病院に復職し8年間勤める。2007年6月、若年性アルツハイマー病と診断され、その後退職。10年11月、若年性認知症にとりくむ会「クローバー」を設立し代表に。11年11月から、鳥取市差別のない人権尊重の社会づくり協議会委員。