ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
私は若年性認知症/藤田和子

クローバー立ち上げ
安心の社会へ実名で訴え


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クローバーの総会で記念写真に収まる藤田さん(前列中央)ら(4月19日、鳥取市人権交流プラザ)

 私がアルツハイマー病だということを、診断されてすぐに家族や身近な人に伝えました。「親しい人になら伝えても大丈夫」。私のことを「人としての価値がない」とか「もう駄目だな」という見方はされないだろうと思っていました。

 病気を隠して生きるということは考えませんでした。私はそれ以前から、PTAや市民団体で人権問題にかかわる活動をしていました。そこでは、困難を抱える当事者が生きにくい社会を作っているのは、その当事者に向けて周囲がどのようなまなざしを送っているのか、どのようなかかわりを持っているのかということが大きく影響する、ということを学んでいました。

 社会はさまざまな人が共生して作られています。どのような立場の人でもその人らしく生きていく権利があります。自分がアルツハイマー病になってみると認知症の人への「まなざし」が、病気になったこと以上に生きにくい社会を作り出していることに気がつきました。そのことが若年性アルツハイマー病と診断された後の私の生き方を決めたのだと思います。

 アルツハイマー病だということ、認知症であるということを隠したいと多くの人は思います。自分がその立場に立たされると、やはり人からどう見られているのかを気にします。「物事を理解することができず、人に迷惑をかけるのが認知症の人なのだ」ということを、さまざまなところで、文字として、会話として、頭に刷り込まれています。私もそう見られるのだと思うと、身のすくむ思いもしました。

 けれども、それが間違いだということを知っているのはアルツハイマー病の患者本人だと気づきました。人は誰もが人としての尊厳をもって生きていってよいのです。社会の中にある認知症の人々への誤解や偏見をなくしていかなければ本当の意味で「認知症になっても安心して生きていける社会」にはならないのだと思いました。

 病気になってから1年後には人権を考える集まりや、「認知症の人と家族の会」の中で、患者本人として認知症に対する正しい理解と偏見をなくしてほしいと訴えていくようになっていました。初めのころは、いろいろな人たちから本名を使わないほうがよいと勧められました。私自身がよくても家族への影響があるとも言われました。そういわれると私の不安も増し仮名で活動をする時期もありました。

 私が悪いわけでもないのに、なぜ本当の私として動けないのだろうか。個人の力では社会の中にある偏見をなくすには限界があります。そこでそれまで人権問題を一緒に考えてきた仲間や、医師、弁護士、社会福祉士、産業カウンセラー、キャリアコンサルタントなどさまざまな立場の方の支援を受けながら、2010年11月26日に若年性認知症問題にとりくむ会「クローバー」を立ち上げました。こうしてさらに多くの人々に訴えていくことができる機会を得ることができました。

 クローバーの四つの葉には「本人」「家族」「支援者」と、もう一つ「社会」が一緒になっています。これまであまり考えられなかった若年性認知症の人々の抱える問題を考えていこうと願いを込めて設立しました。


ふじた・かずこ
1961年、鳥取市生まれ。看護学校卒業後、看護師として市内の総合病院に9年間勤務。認知症の義母の介護を9年間行った後、市内の個人病院に復職し8年間勤める。2007年6月、若年性アルツハイマー病と診断され、その後退職。10年11月、若年性認知症にとりくむ会「クローバー」を設立し代表に。11年11月から、鳥取市差別のない人権尊重の社会づくり協議会委員。