ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
私は若年性認知症/藤田和子

疾病観を変える
早期治療と周囲の理解を


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三女(右)、孫とくつろぐ藤田さん(4月、鳥取市の久松公園)

 この十数年で、認知症に対する考え方は少しずつ変化してきているのではないかと思います。認知症の人に意思はないと思われていた時代は終わり、意思を伝えにくい認知症の人にどのような介護をしていったら良いのかを考えられるようになってきました。介護する側の人々の意識も、患者の尊厳を大切にする方法が考えられるようになりつつあります。

 医療についてはどうでしょうか? クローバーの活動を通して、また患者自身として私の体験を通して感じるのは「認知症医療」というものがまだ形作られていないということです。今年3月にあった京都でのシンポジウムでも、認知症の疾病観を変える必要性についての話がありました。高齢者対策としての認知症を考えるのではなく、疾患として医療現場でとりくみを考えることが必要です。

 これまで認知症と言えば、重度になった時の症状と高齢になれば誰でもなるものだ、というイメージを持たれてきたため、医療よりも介護に重点が置かれていました。けれども若年性認知症の人たちの存在が知られるようになり、クローバーにも、どこの病院に受診すれば的確な診断をしてもらえるのかという相談が来るようになっています。「認知症では」と心配を感じた時、安心して受診できる医療体制を整えてほしいです。

 今の医療現場では、若い、そして初期の患者さんの病状を把握されている医療者は少ないように思います。多くの人は体の異変を感じながらも、社会生活を送ることが可能な間は誰にも相談できず頑張り続け、周囲が気づくようになってから初めて受診しているようです。

 記憶に異変を感じたら、まず受診することが常識となってほしいです。そして、受診する人を冷ややかな目で見ないでほしい。少しでも良い状態でいたいと願う気持ちを分かってほしい。「治る病気じゃないから、治療する意味がない」と考えないでほしい。私も自分で気づき、より早い段階で治療を開始し周囲の理解を得つつ、アルツハイマー病でもほぼ自立した生活を送っています。

 初期の患者さんには、病気による離職で経済的に困ったり、まだ子育て中であるなど、介護が必要な状態ではなくてもそれぞれの状態に応じたサポート体制が必要です。これまでの、介護する側の必要とする支援、制度の充実を図るだけではなく、患者自身が必要とする支援、制度の再考をしていかなければなりません。

 それを考えていくためには、初期の患者さんたちの多くの声が必要です。それらの声を拾うためにも、安心して「認知症の私」として発信できるよう、認知症の人への「まなざし」を変えていく必要があります。

 10年後…いえ5年後には、認知症になっても安心して医療や必要な支援を受け、自分たちの住み慣れた地域で尊厳をもって暮らしている患者さんたちが増えている社会が実現していることを願って…。


ふじた・かずこ
1961年、鳥取市生まれ。看護学校卒業後、看護師として市内の総合病院に9年間勤務。認知症の義母の介護を9年間行った後、市内の個人病院に復職し8年間勤める。2007年6月、若年性アルツハイマー病と診断され、その後退職。10年11月、若年性認知症にとりくむ会「クローバー」を設立し代表に。11年11月から、鳥取市差別のない人権尊重の社会づくり協議会委員。