僕には変わった悪友がいる。今回の主人公の大森和良氏(60)である。大森氏は小学校の先生であったり、若狭自然の家という、少年育成娯楽施設みたいなところで働いている(現・福井県小浜市立内外海=うちとみ=小校長)。
彼との出会いは19歳の夏のことだ。施設に言語障害のある男がいた。僕はそいつの破天荒なところが好きだった。いつも発声練習で「だは、だは」と言っていた。そいつは、歌が好きだったので、歌わせたらすごいことになるぞと「打破」という詩を作り、ちょうどその時来ていた大森氏に見せたら、2時間後に「できたで」と、曲を作ってもってきてくれた。その歌を軸に「男会」というグループを作り、コンサートをやった。喫茶店を借り切って。
その時僕は、企画、構成、司会を担当した。破天荒な彼をリードボーカルにして。
あとのメンバーの、がんばりもあって、コンサートは大成功に終わる。終わったあと、施設に内緒で飲んだ、缶チューハイはうまかった。それから1年で、そのグループは活動を停止するが、大森氏とは、家に帰った現在も、コンサートを開催したり、CDを作ったりしている。
こんなこともあった。AKBの「ゆったん」(増田有華さん)と雰囲気の似た女子高校生がいた。彼女との出会いは、同じ病院に入院していた母親が、失礼にも男の子に間違えて、僕の詩集を売って「ボク、良かったら、息子とメール交換して」と頼んだことだ。母親は病院を抜け出して僕に、そのゆったんのメルアドを渡して、「あんた、この子かわいく素直でいい子やから、メール交換しろ」と、言った。詩を書いて送ると、ゆったんも詩を送ってきた。上手を通り越してすごかった。大森氏に見せたら、おじさまもゆったんの詩をものすごく気に入り、曲をつけようという事になり、僕の部屋で、作曲をした。僕の意見を聞きながら。
その曲が彼の作った何百という曲の中で、一番好きだ。詩というものは、人と人を結びつけるものだ。ぼくはゆったんのおかげで、秋元康になった気分だ。
ありがとう、ゆったん。大森のおじさん!。
ゆったんは、その後、徐々にではあるが治り始めて、夢である画家への道を、歩み始めている。