ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
六畳半の宇宙から

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

サンタクロースの衣装でコンサートを楽しむ川北さん(中央)ら(2010年12月、福知山市の中丹勤労者福祉会館)

関わる心が仲間を広げる
交流コンサート

川北 浩之


 ここでもう一人、悪友を紹介する。障害者支援センターにいた職員だ。そいつとは2004年から、福知山と綾部で、クリスマスコンサートと、地域交流会というイベントをやっている。

 事の始まりは、その夏、大森氏とやったコンサートで、ギターをひいてくれたのを聞いて、クリスマスぐらいは、障害のあるなし関係なしに、みんなが楽しめるイベントにしたい、というものだった。顔も知らない仲間が集まり、話し合いみたいなものがあり、それが知らぬ間に実行委員会になり、広がりを生む。

 最初はそいつと僕だけが意見を言い合う3年だった。みんな遠慮がちで、役割分担なんかなかなか決まらなかった。ところが、実行委員長をやりたいと言ってくれる人が現れた。さらに、外出が困難で1年で1回しか出られない人がコンサートを楽しみにしてる、と言われたのをメンバーに告げると、去年、いつもおとなしい女の障害者の人が、自分から司会をすると名乗り出てくれた。


 僕は大変失礼ながら、大丈夫かなと思った。ところが、当日聞こえて来たのは、堂々とした澄んだ声。女子アナ顔負けの、名司会ぶり。

 僕は何もしてないのだが、その悪友が口癖のように「お客様、演奏者様を笑顔で出迎えるのが、実行委員の役目だ」と言っていた。2年前、どこかに左遷された。本人は栄転だと言っていたが。

 こうして僕は、毎年、毎年、実行委員のメンバー、コンサートの参加者、お客さんというサンタから、同様の感動をもらっている。だが今、介護会社が事業拡大しすぎて人手不足で、今年の実行委員会に、行けるか心配だ。経営者の皆様、僕らには近くの未来にも、ちょっとした外出にも、行けないのですよ。どんな便利な世の中になっても、人の手より必要なものはないって、何人にもわかってほしい。自分の理想論だけを言うのもいいけど。


今回で僕のコラムは終わる。書き足らないこともあるが、そのぶんは詩に書きたいと思っている。下手な文で、気を悪くした方におわび致します。最後になったが、誰もが、生きがいを持って暮らせる世の中を望み、このシリーズを終わる。

 六畳半の宇宙人、川北浩之。


かわきた・ひろゆき
1962年、綾部市生まれ。
出生時から脳性まひで重度身体障害者。舞鶴共済整肢学園、向日が丘養護学校(長岡京市)、丹波養護学校高等部(南丹市)、身体障害者療護施設「友愛園」(福井県小浜市)で学んだ後帰郷。生活空間の六畳半の部屋から発信を続ける。詩集「Kt38・1℃」、「六畳半の宇宙」、川北さんの詩に友人が曲をつけたCD「虹のできた街のように」を刊行した。