ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
老老介護を生きる

3. 助っ人衆のみなさん ありがとう

集団力こそ前進の原動力

有田 光雄



 「わたしがゴホンゴホンと咳(せき)をしたら、お母さんがね、『風邪引いたの』と言ったよ」「コスモスとってきたの、と聞いたらね、『きれいでしょう』だって」と弾んだ声は早朝身支度の若いヘルパーさん。

 言語中枢の破壊のためにおうむ返ししかできないお母さん。その悲しみを共有する人ならではの喜悦の声でした。また、次男の有田和生が、「いつもどおり母の就寝準備に実家へ。ほとんど喋ることのできない母の口からか弱い声で『ありがとうございます』と、確かに聞いた。息子に敬語を使う必要はないのに。それに大切な母。礼などいらない」とツイッターしたのは、10月14日のことでした。少し言葉が戻ってきています。明らかに前進的変化です。

写真
秋天、ヘルパーさんと散歩道のコスモス畑で(京都府大山崎町)
 わが家の在宅介護生活の中軸は、「有田和子週間闘病計画」です。これは、「人権を守ってこそ福祉」をモットーにキャリア10年、主に長岡京市、向日市、大山崎町などをカバーする「きょうと福祉倶楽部」(代表者・有田和生)の教導でできました。

 「計画」は、毎日の早朝身支度(1時間)や昼食介助(1時間)、週2回の入浴 (水、日曜日各1時間)、居宅介護サービスの朝の散歩(木曜日、1時間)、それに、鍼灸(しんきゅう)師(火、木、土曜日各30分)、理学療法士(水、木曜日各30分)、看護師(火曜日、1時間)、歯科衛生士(月1回30分)などの専門職あわせて16人で編成されています。また、これとは別に電話1本での訪問歯科診療にも大助かりです。ともかく、元気な介護は一人で抱え込まないで心も家も開放してかかることです。

 八十路の在宅介護は、これら助っ人集団のあたたかい協同によってささえられています。経済学では、協業による集団力が問題になります。大勢の労働者が協同的・組織的に働いて一つの大きな力をつくりだすのです。それは、たんなる個別的労働の総和とは区別される力なのです。

 介護の世界の助っ人集団も、また、それぞれ異なる仕事をしながら、全体として一つの大きな集団力を形成しています。この集団力こそ最近の前進的変化の原動力です。

 閑話休題。トイレにこんな掲示をしました。

「ヘルパーさんにお願い

ご苦労様です。そのパッドの装着大丈夫でしょうか。もう一度確かめてください。漏れると余分の仕事ができますし、何よりも本人が悲しい思いをしています。

よろしくお願い申し上げます。

二〇一四年四月一日 亭主敬白」

 この掲示は3カ月ほどで撤去しました。効果があったかどうか、それは、ご想像にまかせることにしましょう。肝心なことは、「何よりも本人が悲しい思いを」しない介助です。それは、まず自分だったらどうして欲しいか、欲しくないか、を考えるところからはじまります。

 明けると早くも2015年、6月がくれば在宅介護も6年目に突入です。このような長期戦に耐えてこられたのも、すべて助っ人衆のあたたかい介助があったればこそ。あらためて、助っ人のみなさん、ほんとうにありがとう。よいお年をお迎えください。


写真 ありた・みつお

1930年、島根県生まれ。50年鳥取農林専門学校卒業。
51年京都府に採用され、60年代に府職員労働組合書記長など歴任。74年、立命館大学経済学部非常勤講師として公務労働論などを講義。78年府を退職。「住民自治と公務労働」、「物語 京都民主府政」など著書多数。京都府大山崎町。84歳。