京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●老老介護を生きる
6. たとえ明日は見えなくても後悔よりも満足感を有田 光雄
「生きてるうちは頑張ろうね」。と、語りかけながら車椅子を押す日々がもどってきました。
入院前と異なるのは、新たに「胃ろう」の管理と活用の仕事がはじまったことです。便利なもので、湯茶は朝、昼、晩あわせて800t、確実にとるようになりました。また、栄養剤やお薬など、直接に胃に入れるものと、口からミキサー食でとろとろお粥(かゆ)や、とろみ調整食品、さらに、アイスクリームなどを食べています。そのうちに、栄養全部を口からとれるように挑戦をつづけています。
「ご主人、ちっともじっとしていませんね。近所の人が言っていましたよ。奥さんの顔色見るとご主人の頑張り、わかるって」。とは、毎週来宅のヘルパーさん。 懸命の介護の甲斐あってか、現状は、あの衝撃の「医師団告知」を多分に裏切っています。 まだ、寝たきりではありません。「2年後の寝たきり」というのは、たぶん「在宅介護でなかったら」という前置詞が抜けていたのだと思います。デイサービスもショートステイの利用もつづいています。 残念なことに、いまでは、おうむ返しもできなくなりました。語りかけると、おうむ返しにかえってくる、それが、どんなに張りのあることだったのか、あらためて思い知っています。以心伝心の世界ではありますが、表情や目の動きなどでなにを考えているかはよくわかります。完全認知症だったらとても、こうはいかないと思います。 これは、もしもの話ですが、「介護度5」に辟易(へきえき)して、施設入りなどしていたなら、きっと違う運命が待っていたことでしょう。 きびしくとも懸命の介護が生きています。 「しんどいのになんで在宅介護なんですか?」と問われるなら、「そこに山があるから」の、ひそみにならって「そこにたたかいの人生があるから」と答えます。 2人とも、この5年間の国政選挙や町長選挙などの地方選挙も、一度として棄権したことはありません。妻は、在宅のまま「郵便投票」の権利を行使してきました。それは、まさに懸命の意思表示です。 笑顔はあっても笑声のない日々。 まるでスタンプを押しているような変化のない暮らし。 まさに、在宅介護は寧日なきたたかいの日々です。 だが、いつかは終わりを告げるときがくるでしょう。 「介護に明日は見えません。でも、いつの日にか、その介護にピリオドが打たれる日が必ずやってきます。苦しい介護を乗り越え看(み)取りをやりとげたあとには、やはり後悔よりも介護して良かったという満足感を得たいものです」(「オトコの介護を生きるあなたへ?男性介護者一〇〇万人へのメッセージ」・クリエイツかもがわ)。 昔も、今も、変わらぬわが家の守護神。介護の生きがいをも与えてくれた大恩ある「戦友」。願わくば、この人よりは一日だけ遅くに「人生万歳」といってから、ひっそりと大地に還(かえ)りたい。 とはいえ、そうだ!生きてるうちは頑張らんとなあ。 =おわり ありた・みつお 1930年、島根県生まれ。50年鳥取農林専門学校卒業。 51年京都府に採用され、60年代に府職員労働組合書記長など歴任。74年、立命館大学経済学部非常勤講師として公務労働論などを講義。78年府を退職。「住民自治と公務労働」、「物語 京都民主府政」など著書多数。京都府大山崎町。85歳。
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