ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
シンポ傍聴席  多文化共生の重要性
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約100人が参加した滋賀県庁新館の会場


お互いを知り原点に戻って
新たな地域社会へ多様な政策を



 阪神・淡路大震災で多くの外国人が被災したことをきっかけにして進められてきた「多文化共生」をテーマに、滋賀県による「多文化共生地域づくりフォーラム」がこのほど大津市内で開かれた。

 フォーラムでは、1995年の大震災の際、外国人被災者に情報を提供する情報センター設立に参加し、後に多文化共生センターの事務局長や代表を務めた多文化共生センター大阪の代表理事、田村太郎さんが講演、文化などの違いのある人々が、「共に生きる」地域社会をつくる多文化共生は、人口減少、超高齢化の今後の日本社会にとっても大変重要であると訴えた。

 大震災の体験から日ごろからコミュニケーションの壁をなくす取り組みが必要と考え、多文化共生センターをつくりました。その時名称について議論したのです。

 外国人支援センターも出ましたが、集まっていたボランティアの半分は日本語以外で生活している人です。日本人が外国人を助けるということではない、新しい地域社会をつくるためということで「多文化共生」になりました。

 私たちはどんな思いでこの言葉を使ってきたか。困っている人がいるから助けてあげる、ではないのです。どちらかが強くてどちらかが弱いという関係ではない。異なる文化などさまざまな違いのある人たちが、互いの考え方や暮らし方などを知り、互いに影響を及ぼし合い、そのことで互いが変化しながら、一緒に新たなに地域社会を、共生社会をつくる。最近はその原点が、ほったらかしになっている感じがします。

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多文化共生なくして地域の未来なし、
と話す田村さん
 2055年には日本の高齢化率は40%を超えると予測されています。税金を納める人が半分、税金に支えられる人が半分ではもちません。福祉国家への転換には福祉分野の労働力の供給も必要です。

 日本でもインドネシアやフィリピンから介護士さんなどを目指す人を受け入れていますが、送り出す側からも受け入れる側からも評判は悪い。「ある程度やって試験に通ったら居てもいい」という姿勢ですから。

 東アジアのほぼ全域が高齢化の時代を迎えようとしています。中国ではすでに、日本の人口と同規模の高齢者人口が出現し、1000万人の介護労働力が足りなくなっているとされています。介護労働力を求めるのは日本だけではありません。

 労働者受け入れには、日本語をしっかり教えてくれるのか、結婚して子どもが生まれたとき教育はどうなるのか、新しくやってくる人が暮らしやすい社会かどうかが問題になってきます。

 そこで多文化共生の推進が大変重要になります。政府も動き出していますが、まだ遅れをとっている。多文化共生、出生率向上、高齢者や女性が働きやすい社会の実現、多様な政策をパッケージにして持続可能な人口構成を実現することがいま求められています。