ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
シンポ傍聴席  大学生の震災ボランティア

人とつながり「生きてる」
「何かできないか」と・・・/被災地の心忘れない


 日本福祉教育ボランティア学習学会第17回京都大会が2011年12月3日、京都市上京区の同志社大新町校舎で開かれた。東日本大震災復興のボランティアに参加した大学生が何を学んだかを発表する特別分科会も企画され、学生4人がパネラーになり、活動内容や動機などについて話した。

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日本福祉教育ボランティア学習学会の全体会で開会のあいさつをする大会長の上野谷加代子・同志社大教授
 4人はまず次のように話した。

 「報道を見て何かできないかと思い、カキ氷を京都で販売して、その収益で被災地の人にカキ氷を食べてもらう活動をした。買ってくれる人も模擬店の場所を提供してくれた人も氷を安く卸してくれた人もみんながボランティアだったと感じている」(立命館大・男)

 「何もしない自分がいやだった。仙台市の被災地で民家の庭のガレキ撤去に参加したが、その家の様子が分かり胸が痛んだ。帰るときには泣いてしまったが、なぜ泣いたのか自分でも分からない。こちらにいても被災地のことを忘れないようにしなければ、と感じている」(桃山学院大・男)

 「宮城の友人から、『人が足りないのですぐにでも来てほしい』と言われ参加した。宮城県名取市では夏祭りの『ずんだ餅』作り、石巻市では住民との茶話会や子どもと一緒に塗り絵、自宅から避難した人向けの生活マップ予備調査などを行った。(神戸学院大・女)

 「ボランティアセンターを通さずに岩手県大船渡市のある集落に直接入った。活動も学生主体に決めた。被災地で『何か困っいていることはないですか』と聞いても答えてもらえないので、ふだんの会話の中から、相手の希望を見つけるようにした。ボランティアセンターを通さなかったのは担当教授の意向。被災者との結びつきが弱くならないようにとの判断だったと思う」(神戸大・男)

 その後は進行役の大学教員や聴衆がテーマや質問を出し、4人が答えた。ボランティアに参加して変わった点としては「物事に積極的に取り組むことが多くなった」「人とつながって生きていることを実感できた」との感想がある一方で、「ボランティアは誰でも参加できる。行ってない友だちに対してそれを勲章にしないように気をつけている」との発言があった。

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東日本大震災のボランティアをした大学生が体験などを語り合った日本福祉教育ボランティア学習学会の特別分科会(2011年12月3日、同志社大新町校舎)
 「関西での大学生活という現実と、被災地という『非現実』のギァップを自分の中でどう調整したか」というテーマについては「被災地から帰って『何て普通なんだろう』と沈み込んでしまった。時間が解決してくれた」「自分がどれだけ恵まれているか分かった。勉強などできることを一生懸命やろうと思った」と、二通りの心情が語られた。楽しかったこととしては「年齢の違う他のボランティアの人と語り異なった価値観にふれることができた」「被災者の方と信頼関係を築き、飲み会ができた」の体験が挙がった。

 進行役の一人からは「(精神が)揺さぶられて自分が不安定になることもボランティア活動のもつ教育力の一つ。今は分からなくてもこれからいろんな場面に接して自分が変わったことが実感できると思う。4人ともすごい学びがあったことが分かった」との感想が寄せられていた。