ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
シンポ傍聴席  ダウン症の子の育て方

できる事を「がんばりな」
買い物で計算、カラオケで話し方学ぶ


 京都ダウン症児を育てる親の会「トライアングル」が3日、京都市左京区の市障害者スポーツセンターで、ダウン症の当事者で千葉県在住の南正一郎さん(40)らを講師に招き講演会を開催した。

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昨年黒帯を獲得した空手の型を披露する南正一郎さん
 ダウン症は染色体の突然変異で起きる生まれつきの疾患。1000人に1人の割合で発症する。筋肉の緊張度が低く、多くの場合、知的発達に遅れが見られる。南さんは講演で、ハンディを抱えて生きる工夫や努力について語った。

 南さんは小学校に1年遅れて入学。低学年の時、いつも先生から「無理無理」「特別支援学級に行け」と言われていたが、クラスメートが守ってくれた。中学まで普通学級に通った後、高校は養護学校高等部に入学。職業実習でクリーニング店に行ったとき「遅い」「覚えが悪い」と、あざができるほど殴ったりけったりされ、母が学校と店に抗議に行くと「そんなことを言っていると働く場所がない」と言われた。一方で、産休補助で来た女性の先生が理解してくれて、グループで出かけたり、都内の美術館などを見学し「とみんず」という案内書を一緒に編集したりして、社会勉強を積ませてくれた。

 学習については、「1+1」を理解したのは中学に入ってからだったが、その日何を買っていくら使ったかという実体験から計算を覚え、中学3年で割り算を知って楽しくなった。

 また話し方については漫画や本を音読していたが、一度自分の声を録音して聞いてみたところ「これはちょっと『え?』と言われるかな」と感じ、ちょうどNHKのど自慢の予選会に出る機会があったことからカラオケで練習した。歌詞を読み音程をとり、あごと腹の筋肉を使うという作業を同時にしないといけないので効果があったという。

 この間、14歳で空手を習い始め、2011年に黒帯を獲得。今では子どもの指導もしており、会場では型を披露した。

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京都ダウン症児を育てる親の会「トライアングル」が開いた講演会(京都市左京区・市障害者スポーツセンター)
 南さんは新聞販売店でセールスや折り込み、掃除などで14年間働いた。07年に白血病になったが治療に成功。今年3月20日に東京で開かれた「世界ダウン症の日」国連制定祝賀イベントでは当事者代表としてアピールのスピーチを行った。

 母の敦子さん(67)は南さんについて「成長が遅く、幼稚園の時もたまに単語をしゃべるくらいでした」と述べ「2歳下に妹がおり、実家のいとことも遊ばせるようにしました。子ども同士で言葉を聞いて、すぐにではなかったが話をするようになりました」と振り返った。

 また、きちょうめんなしつけや訓練はせず、できる事を『がんばりな』といって励まし、できそうにない事は時間がもったいないのでさせませんでした。『早く』という言葉は使わないようにしました」と自らの育て方を語った。

 また臨床遺伝専門医で日本ダウン症協会理事の長谷川知子さんは、南さんのように自ら主張するダウン症当事者が世界的に増えている現状を紹介。ダウン症のある胎児の中絶につながる出生前検査の普及を防ぐ必要を強調した。