ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
自然との共生  障害者カヌーを楽しむ

【2】私のスポーツ遍歴

車いすバスケ 打ち込んだ30年(2019/03/18)


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ポイントごとに集合しながら由良川(京都府京丹波町)でツーリングを楽しむ「パラマウント。チャレンジ・カヌーin京都」の参加者ら(写真はいずれも本人提供)

 スポーツ好きな私は、養護学校(現総合支援学校)時代はソフトボールやサッカーなどをしてきました。ソフトボールでは、打席にたって打てても走ることはできないので、代わりに走ってもらっていました。1960年のメキシコオリンピックや64年の東京オリンピックで盛り上がっていたサッカーも行い、力いっぱいボールを松葉づえで蹴って何本もつえを折ってしまった経験もあります。

 私の最も小さい時の記憶は、背中に大きな注射を打たれてとても痛かったことです。3歳の時に小児まひ(ポリオ)にかかった時だと思います。それまでの白黒写真には走り回る姿がありますが、記憶にありません。

 就学前は、保育園や幼稚園には行けず、家に居ることが多く外出時は乳母車に乗せてもらっていました。小中学校は、ちょうど創設された肢体不自由児の養護学校に行くことになり、毎日1時間余りスクールバスに揺られて通いました。学校では、歩行器や松葉づえで移動をしていました。今は車いすの利用が中心になっています。

 高校は地域の普通科に通い、体育の授業は見学することが多かったです。しかし、夏休みなどには同級生と何泊もキャンプをすることもありました。現地では移動することが難しいため、食事当番として飯ごうでご飯を炊いたり料理を作っていました(腕前も良かったです)。

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第24回全国身体障害者スポーツ大会の車いすバスケットボール競技に出場した江村さん=1988年10月京都市右京区・市体育館
 社会人になり車いすバスケットと出会い、そのスピード感と団体競技の面白さにはまり、30代から30年余りプレーヤーとして競技をしていました。週2回、仕事が終わってから2時間ほどの練習と、休日は月1、2回半日の練習や試合を行っていました。88年秋に京都で開催された「第24回全国身体障害者スポーツ大会」に出場をして第3位になったのが一番の思い出です。

 その後も競技をしてきましたが、50代を過ぎたころより体力の限界を徐々に感じるようになってきました。そんな時にカヌーと出会いました。激しく競い合うバスケットから、川の上でゆったりとこぐアウトドアスポーツのカヌーに少しずつ魅力を感じていきました。これが、私のスポーツ遍歴です。

 私が出会った「パラマウント・チャレンジ・カヌー」は91年5月に奈良県吉野川で同県の社会福祉法人とアウトドアメーカーが中心になって始めたものでした。京都から参加した車いすユーザーの2人の青年が、そこで体験をした感動を「京都でも」と2人が中心になり、翌年から京都でもスタートしていくのでした。


パラマウント・チャレンジ・カヌー
パラマウントは、ラテン語で「山頂にある(もの)」ということから、「最高の」という意味で、「障がいのある人たちがカヌーを通して、最高の自己実現を目指す」という願いを込めてつけられ、障がいのあるなしに関わらず、より多くの人たちがカヌーを楽しみ、新しい人と人との出会いの場が生まれ、障がいに対する理解や、障がいのある人の社会参加について考える場になればという願いを込めて命名されました。

写真 えむら・ひろゆき
1952年生まれ、京都市出身。
京都府立嵯峨野高卒。3歳の時に小児まひにかかり身体障害者(下肢機能障害)になる。京都市中部障害者地域生活支援センターらくなん嘱託。パラマウント・チャレンジ・カヌー実行委員長。66歳。