ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
ともに生きる

引きこもり、子どもの貧困を考えるフォーラム


 すべての子どもたちが元気で明るく生きていける社会を考える「ともに生きるフォーラム」(京都新聞社会福祉事業団主催)が先月5日、京都市中京区の京都新聞文化ホールで開かれた。大津市と京都市で引きこもりの青少年らの支援活動を続ける福島美枝子さんと、滋賀を中心にスクールソーシャルワーカーとして活躍する幸重忠孝さんが講演したほか、病気で気管切開しながらも声楽家として復帰した青野浩美さんのミニコンサートも行なわれた。約70人が聴き入り、複雑な現代社会のなかで悩む子どもたちに、どのように手を差し伸べることができるのかを探った。


もう一度歌える喜び
声楽家 青野浩美さん

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母親の真弓さんのピアノ伴奏に合わせ、のびやかに歌う青野浩美さん。マイクを使わず、「野ばら」など数曲を披露した(京都新聞文化ホール)
 私は同志社女子大で特別専修生として声楽家を目指していた23歳の時、神経性難病で車いすの生活になりました。「車いすに乗っていて歌えるのか」と言われることがあります。座ったままでもいい声が出せるように背もたれの高さや座面の角度を歌いやすいようにセッティングしています。工夫をすれば車いすに乗っていてもいい声が出るということを知ってもらうためにも、皆さんの前で歌うことが一番重要だと思っています。

 しかし、その後、中枢性の無呼吸発作を発症しました。生きるためには気管切開をしなければなりません。ですが、気管切開をすれば声が出なくなると医師に言われ、迷いました。そんな時、友人から「あほか、命と声を天秤(てんびん)にかけるんか」と言われ、25歳の時に気管切開を決断しました。

 スピーチカニューレという管を気管に挿入しました。医師からは「歌うのは無理、前例がない」と言われましたが、発声練習や車いすの工夫などを重ね、再び歌うことができました。昨年6月にはロームシアター京都(京都市左京区)でマイクなしで舞台に立ちました。

 「何にでも挑戦してみなさい」が両親の教えでした。そのおかげで声楽家として復活することができました。

仲間の力が何より必要
NPO法人恒河沙理事長 福島美枝子さん

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NPO法人恒河沙理事長
福島美枝子さん
 私は中学で国語の教師をしていましたが、教え子の女の子から「学校に行けない」と電話が掛かったのが1999年秋。学校を辞めて間もないころで、「それなら、私のところに来ない」と誘いました。この子は日常の生活の中で頑張りすぎて、元気がなくなっていました。私は大津にある安養寺というお寺の坊守(住職夫人)で、そこは勉強したり遊んだりするにはゆっくりできる居場所でした。そうこうするうちに、もう一人の女の子も来て、フリースクールを開設しました。学校に行けない子どものほかに、自宅に引きこもる青年を抱える母親らからの相談も寄せられ、引きこもる若者たちの自立支援の活動にかかわるようになりました。

 最初のうちは勉強や境内の掃除、ゲームなどで過ごしていましたが、ある時、青年が「畑がしたい」と言い出し、知り合いの紹介で京都市北区西賀茂に広い畑を無償で借りることができました。皆で集う場所もでき、自立支援施設「恒河沙(ごうがしゃ)」を開設しました。どんな若者にも無限の可能性があるとの思いを込めた施設名で、2004年のことです。次に、この畑でできた野菜で「食堂をしたい」と言い出した若者がいて、施設を改造して食堂も造りました。多くの人の支援のおかげで施設は運営でき、つくづく「結縁(けつえん)」を感じます。

 長年、自宅に閉じこもっている若者には、臨床心理士らが自宅を何度も訪問し、ゆっくりゆっくり時間をかけて、施設に足を運べるようにしています。

 恒河沙にはいろんな人が訪れますが、ある建築会社の社長が何万枚ものシール張りの仕事を持ってきてくれました。若者に相談すると「やりたい」と言い、約束の3日で仕上がり、「こんなに丁寧に張ってもらえるところはない」と言ってもらえました。働けば、だれにも負けない仕事ができるのです。

 長く引きこもる子は他人のせいにしないで、自分を責める傾向があります。そのような若者たちが、自信を取り戻すためには、同じ境遇の子ども、そして、周りの人たち「仲間の力」が何より必要です。心を折れた子どもたちにかかわったこの18年間は、そんな子どもたちから教えられた日々でもあったと思います。

独りぼっちをなくそう
社会福祉士 幸重忠孝さん

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社会福祉士 幸重忠孝さん
 子どもの6人に1人が貧困の状態にあるとのデータがありますが、周りを見ていてもピンと来ないと思うのです。それは貧困にはレベルがあって、ごちゃまぜになっていることが分かりにくくしているのだと思います。海外でよく見られるストリートチルドレンのような衣食住に欠けた絶対的貧困の子どもたちは、日本では福祉制度によって保護されています。18歳までは児童養護施設で生活し、生活に必要なものは補助されます。家庭で暮らしていない子どもは約4万5千人いると言われています。

 次に生活保護を受けている世帯の子どもたちも厳しい状況に置かれ、約20万人いるとみられます。生活を維持する資金は公的扶助を受けられますが、子どもに必要なお金も保護者にわたり、子どもたちが十分な生活を送れていないケースも指摘されています。また、どの家庭が生活保護を受けているかは表には出ないはずですが、何らかの事情で表面化し、子どもが差別や偏見をうける問題もあります。

 これまでの2つ以上に深刻なのが、厳しい家庭状況にあっても、福祉制度につながっていない子どもで、約300万人いると推計されます。毎日、宿題をやらずに先生にしかられている子どもが実は貧困で電気を止められ、家で勉強をやりたくてもできないケースもあります。お金がなくて歯医者に行けず、痛くて勉強どころではない、休日に友だちとファストフード店に入り、食事代がなくて「ダイエット中だから」とごまかしてしまう。

 そんな子どもたちに私たちは何ができるのでしょうか。貧困を抱えて孤立している子には、まず声をかけて仲良くなるつながりづくりが必要です。こうした子どもたちには「大人にかまってほしい」という愛情表現があり、その思いに応えるだけでもいい。登下校時に「おはよう」「お帰り、気をつけて帰りや」とあいさつしてあげるだけでも違います。

 私は2005年に京都市山科区で学校に行けない子どもたちへの家庭訪問活動を始めました。さらに数年後からは悩みを抱える子どもが休日に集える居場所を作りました。また醍醐(伏見区)に夜間も泊まれる活動もはじめ、みんなで作るご飯、みんなで学ぶ勉強に、いつもは独りぼっちの子どもが生き生きとしています。

 現在、滋賀県で大津市社協などと協力して大人と子どもが一緒になった寺子屋プロジェクトや淡海子ども食堂づくりに関わっていますが、少子化の現代、子どもたちをまちのみんなで支え、独りぼっちの子がいないまちづくりが必要と考えています。


あおの ひろみ
現在、コンサートに出演するほか講演活動を行う。「前例がなければ作ればいい」を京都新聞福祉面に連載中。33歳。京都市出身。

ふくしま みえこ
99年まで大津市の中学校勤務。精神保健福祉士。著書に「本音を聞く力」。64歳。長崎県出身。

ゆきしげ ただたか
児童養護施設職員などを経て、幸重社会福祉士事務所を設立。著書に「子どもたちとつくる貧困とひとりぼっちのないまち」など。43歳。岡山県出身。