ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
ともに生きる

京都新聞社会福祉事業団
「ともに生きる」フォーラム(2019/04/29)



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精神障害者や認知症の人とともに生きる心構えについて話す高木さん(右)と堀田さん(京都市中京区・京都新聞文化ホール)
 ともに助け合って生きる社会のあり方を考える京都新聞社会福祉事業団主催の「ともに生きる」フォーラムが3月17日、京都市中京区の京都新聞文化ホールで開かれた。今回は、京都新聞朝刊「福祉のページ」のコラム「暖流」を執筆する2人が講師となり、精神障害者や認知症の人と一緒に楽しく生きるための心構えや先進的な取り組みについて紹介し、中高年を中心に100人が訪れて熱心に耳を傾けた。フォーラムを締めくくる対談では、どんな人も自分らしく、人のために力になれる社会のためにできることを語り合い、参加者も理解を深めた。
(フリーライター・小坂綾子)

「今」を助け合って楽しく

ACT−K主宰・精神科医 高木俊介氏 講演要旨


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ACT−K主宰・精神科医 高木俊介
 神奈川県で3年前、相模原障害者殺傷事件がありました。障害者施設で元職員が入所者19人を殺し、衝撃が走りました。加害者は特別な人ではなく責任能力もあった。一線を越えたけれど根本的には私たちと同じ。その人が大変な思想を抱いたのです。「障害者は役に立たず、社会の重荷でこの世にいてはいけない。言う人がいないから自分が実行する」と。

 なぜそんな考えを−と私たちは思う。けれど、少し前には同じことを私たちは言っていたのです。ドイツでは、第二次世界大戦時に精神障害者を加害者の人と同じ理屈でガス室に送り、日本でも、半世紀前に優勢保護法で障害者の強制的な不妊手術を認めた。今も出生前に障害の有無を診断し、中絶が認められている。どこかに同様の考えがあるのです。

 今日本では、精神障害の人のベッドは全ベッド数120万床のうち30万床を占め、病院が収容所代わりになっています。高度成長の時代、障害者を生産阻害因子とし、一気に大量の病院を山の中に作り鉄格子をつけて収容したからです。

 精神障害者を閉じ込めたしっぺ返しを、私たちは二つ受けています。苦しい心のあり方を相談できず自殺が増えたことと、認知症の症状である幻想や被害妄想との付き合い方がわからない社会になったことです。統合失調症やうつ病、発達障害は本来身近なのに、隠してきたので周囲にいない。だから認知症になって精神症状が出ても周囲が理解できない。精神病院に入れてしまえとなります。

 実は障害者から私たちが受けた恩恵があります。身体障害者は1970年頃、街で暮らしたいと声をあげ、政治的な闘争をしました。車いすでもバスに乗れ、映画も見られるよう要求しました。だから今、年を取っても車いすで街に出られるのです。彼らの運動のおかげです。

 精神障害の人たちにも自分の作業に誇りを持ってもらいたくて、私は障害者が作った大麦やホップを使ったビールを作りました。「京都・一乗寺ブリュワリー」というところで、農福連携事業としてやっています。

 もともと人間は、人が喜ぶことがうれしいようにできています。ケアしてもらい、ケアするようにできている。赤ちゃんは、自然に世話が楽しいと思わせてくれます。そして、認知症は人間が年を取っていくときの恵みの一つで?す。認知症の人は「今」を生きていて、死の恐怖が和らぐ。だからお世話する方も、される方も、互いが「今」を楽しくできるように。社会が複雑になって忘れがちだけれど、「今」を助け合って生きる社会に、「助け合い大国(助け合いたい国)」にしたいですね。

どんな命にも価値がある

さわやか福祉財団会長・弁護士 堀田力氏 講演要旨


 私たちは、命というものをどう考えれば良いのでしょうか。お金を稼ぎ、人の役に立たなければ命の価値がないのか。それとも、働けなくても、人のお世話になっても、そこに命があるだけで尊いのでしょうか。

 生産と結びつかなければ命の価値はない、そういう時代もありました。その考え方は根強く残っていますが、それでも70年くらい前から少しずつ、数少ない子どもをみんなで大事にし、命を永らえようという感覚に変わってきました。今の高齢者は長寿の恩恵を受けている最初の世代であり、どんな命も価値があると伝え、若い人が老後に夢を抱くよう輝いて生きる任務があります。

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さわやか福祉財団会長・弁護士 堀田力
  認知症は、神の贈り物であり、神が課した試練です。周りの人への試練なんですね。縛ったり閉じ込めたり、人権侵害になることをせず支えられるのか。これは大きな問題で、私たちの活動では、2日間の講座で認知症サポーターを養成し、現在1000万人超が登録しています。

 認知症の人は、普通に暮らしたい普通の人たちです。幻想が出たら周りはとがめず、付き合うことが肝要です。「1万円を盗んだ」と責められれば、「返しておくね」と渡して後で取り戻せば良い。怒らなければ大半のもめ事は避けられ、本人に合わせて行動すれば自然に楽しくなります。

 認知症の人と子どもが一緒に過ごせる場作りの例もあります。両者は感性が合い、子どもは自分にかまってくれる人がいるから笑う。笑ってくれると認知症の人もうれしく、生きがいにつながります。人の世話をするのが得意な認知症の方には施設の案内をしてもらい、字が上手な人にはメニューを書いてもらう。このようにすれば、認知症の人を大切にすることはできるのです。

 難しいのは徘徊(はいかい)です。愛知県の認知症鉄道事故裁判では、認知症の男性の遺族に損害賠償が請求されました。最高裁は責任を認めなかったものの、今後の裁判では家族に責任を認める余地も残しました。法律家は(介護をしている家族の)生活がわかっていないと思いました。本人の人間として当然の欲求が満たされるよう周囲は支えなくてはならない。ではどうするのか、というのが究極の人権問題なのです。

 鞆の浦(広島県福山市)という地域では、認知症になっても自由に外出できるまちづくりをしています。認知症の人が出て行く時間や場所のパターンを把握し、安全を確認して自由に歩いてもらうのです。危ないところには一人詰めていますが、その人も認知症です。

 徘徊問題は、今年から来年にかけて大きく動きます。サポーターがチームを組んで自由に歩いてもらう時に見守るような態勢ができる予定です。そうすれば、認知症の人の外出の自由も実現するでしょう。

喜ばれている実感大切/特別でなく存在認めて

対談要旨


 堀田 精神障害者が生き生きとできるためには何が必要でしょうか。

 高木 自信を取り戻してもらうこと。人とのつながりを取り戻した次の段階は、小さなことの積み重ねでも人の役に立っていると思えることですね。

 堀田 周りはどうアシストするのか。無理に作った仕事でもよいのか。

 高木 「障害者が作ったので買って」というのは、哀れみを受けているだけで本人が知ればがくぜんとする。私たちの取り組みではビールの原料を提供してもらっていますが、例えばお菓子などでも一流のものを作るなど社会に喜ばれている実感が大切です。

 堀田 うちの団体でも、作業してくれた障害のある子に「ありがとう」と声をかけると自信を持?つ。あなたがやってくれたことが役に立ったと伝えることが基本なのでしょうね。特別扱いではなく、普通の方々として受け入れ、存在を認める。そんな社会になればうれしいですね。


たかぎ・しゅんすけ
1957年、広島県生まれ。京都大医学部卒業。日本精神神経学会で、精神分裂病の病名変更事業にかかわり「統合失調症」の名称を発案。2002年に正式決定された。04年、京都市中京区にたかぎクリニック開設。精神障害者のための包括型地域生活支援プログラムACT―Kを主宰。著書に「こころの医療宅配便」(文藝春秋)など。

ほった・つとむ
1934年、宮津市生まれ。京都大法学部卒業。東京地検特捜部検事、最高検検事などを経て、91年に法務大臣官房長を退職し弁護士登録。さわやか法律事務所およびさわやか福祉推進センター(2010年4月から公益財団法人「さわやか福祉財団」)開設。著書に「『共助』のちから」(実務教育出版)など。