ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
統合失調症を生きて

まだ社会的認知が十分進んでいない統合失調症の当事者である森実恵さんが
自分の生活振りなどを紹介しながら社会的偏見の是正を訴えます。

つらかった闘病生活


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「病気のせいにしたくないと思うようになって病気と付き合えるようになった」。六田宏さんは仲間から信頼されるまとめ役として、仕事にやりがいを感じている(DVD「病気とほのぼの屋と僕たちの未来」から)
 発病した当初、私は平凡な家庭の専業主婦でした。4歳と9カ月の2人の娘の育児と家事に追われ、それなりに充実した日々を送っていました。夫は半導体の研究に従事する大学研究員で、仕事に追われ、多忙な日々を過ごしていました。実験や学生の指導に追われ、帰宅するのは深夜に及ぶこともたびたびありました。

 そんなとき、義父ががんで亡くなり、葬儀の疲れから、私は虚血性大腸炎になってしまいました。大量の下血で救急病棟に緊急入院し、その日の夜、初めて幻覚を見たのです。地獄の悪霊たちがうごめく姿はおぞましく、到底眠ることなどできませんでした。その次の日から、今度はいろいろな声が聴こえるようになってきました。看護師たちが自分の噂(うわさ)話をしている声、近所の主婦たちが気遣ってくれる声や主治医の声が聴こえてきました。私は頭の中でそれぞれの声に返事をしていました。(「対話調の幻聴」という症状が出ていたのです)体の病気は2週間ほどで完治しましたが、この時、自分が精神病を発病していることにはまだ気づいていませんでした。

 ある日の休日、診察日でもないのに私は主治医に呼ばれたので、突然病院に行くと言い出しました。夫はいぶかり、「本当にテレパシーで主治医とコンタクトをとっているのなら、どこかで会う約束をしたら、会えるはずだ」と言いました。そのときは自分でも何かがおかしいと思い、病院には行きませんでした。しかし、それからというもの幻聴に振り回され、奇怪な行動をとることが多くなりました。「離婚しろ」と言われ、離婚手続きの本を買ったり、「これから通訳になるのだから」と言われ、昔勉強していた通訳ガイドのテキストを衝動買いしたりしました。

 「神戸に行け」と言われ、電車に乗りましたが、途中で「ソックスを履いているのはおかしい」と言われ、トイレで靴下を脱いだことを覚えています。何か目的があって神戸に行ったわけではないので、港のあたりをぶらぶらして、また帰ってきました。その間、夫は子供を実家に預け、なんとか仕事には行っていたようです。しかし、我慢も限界に近づいていたようです。いつのまにか夫には別の女性ができていたようで、閉鎖病棟に入院中、突然「離婚してくれ」と言われてしまいました。私は喫茶店で面会中、人目もはばからず、わあわあ泣いたことを覚えています。自業自得と言われればそれまでですが、もう少し家族がこの病気について理解してくれていたら、離婚にはならなかったかもしれません。

 私には病気があるし、経済力もないので、おそらく子供たちを引き取ることは無理だろうと思いました。子供たちと引き離され、実家で療養していたときには生きる希望を完全に見失っていました。自分が世界で一番不幸な人間に思え、もう生きている価値など何もないと思っていたのです。

森 実恵(もり みえ)氏
大阪府在住。2006年にリリー賞(精神障害者自立支援活動賞)、07年に糸賀一雄記念賞、09年に第35回部落開放文学賞。著書に「心を乗っとられて」(潮文社)「心の病をくぐりぬけて」(岩波ブックレット)「なんとかなるよ統合失調症」(解放出版社)。