ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
統合失調症を生きて

まだ社会的認知が十分進んでいない統合失調症の当事者である森実恵さんが
自分の生活振りなどを紹介しながら社会的偏見の是正を訴えます。

ゆっくりと回復、社会へも参加


写真
六田宏さんにとって家族の存在は大きい。「子どもが生まれたとき、うれしくて号泣しました。育てていくなかで、子どもに教えられ、そのおかげで親になりつつある感じです」(DVD「病気とほのぼの屋と僕たちの未来」から)
 37歳のとき、病気が理由で夫と離婚しました。ただ、幸運なことに夫側の都合で二女を引き取ることができました。子供と一緒にもう一度暮らせるようになったことが大きな転機になったようです。

 子供のためにきちんと手料理を作りたいと思う気持ちから、再び台所に立つようになりました。始めは要領が悪く、家事をするにも時間がかかりましたが、次第に勘を取り戻し、なんとか洗濯、料理などはできるようになりました。

 また、子供の養育にはお金がかかります。今度は就労しなければなりませんでした。始めは病気を隠して働いていたので、仕事を転々としました。青息吐息で働きに行くのですが、半年ほどたつと、息切れして、やめてしまうことを繰り返していました。

 そんな中、詩を書くことだけが心の支えになっていました。自分の病気の辛(つら)さ、また、病気を隠して働くことのしんどさ、友人がおらず、社会から疎外されている寂しさなど私は二重三重の苦しみを抱えていたのです。その苦しみを浄化するために夜子供が眠ったあと、一人大学ノートに向かいました。書き始めたころはときどき、大阪にある精神障害者の当事者会であるぼちぼちクラブに詩を送り、ニュースに載せてもらうことが楽しみでした。

 そして、就労の合間をぬい、公募ガイドという雑誌を買ってきて、いろいろな出版社に原稿を送りました。キャッチコピーを一つ考えただけで、5万円いただいたこともあり、内職にしては割がいいと思ったからです。10冊以上の本に原稿が採用され、小さな文学賞も四つ頂くことができました。

 脳の病気だから、もう知的な作業はできないという思いこみは間違っていたようです。むしろ、短時間なら集中して働くことができるが、体力、気力ともにパワーダウンしているので、長時間就労ができなくなっていたのです。瞬発力はあるが、持久力がない状態です。ぼちぼちクラブで週に一度電話相談の仕事をしながら、夜は塾で英語を教え、その合間をぬって、原稿を書くという三足のわらじをはくような生活が続きました。

 そして、潮文社への持ち込み原稿が企画出版として、採用され、1冊目の本「心を乗っとられて」を上梓(じょうし)することができました。また、読売新聞の健康&医療コーナーにて26回の連載を終え、こちらも岩波ブックレットより「心の病をくぐりぬけて」というタイトルで刊行されました。このころから、講演依頼も増え始め、今では年間20〜30回の講演活動をこなしています。半生記「なんとかなるよ統合失調症」も解放出版社より出版されました。たとえ、統合失調症でもあきらめなければ、夢は必ずかなうのかもしれません。

 人間は負けたら終わりなのではなく、やめたら終わりなのです。

森 実恵(もり みえ)氏
大阪府在住。2006年にリリー賞(精神障害者自立支援活動賞)、07年に糸賀一雄記念賞、09年に第35回部落開放文学賞。著書に「心を乗っとられて」(潮文社)「心の病をくぐりぬけて」(岩波ブックレット)「なんとかなるよ統合失調症」(解放出版社)。