ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
広がる 地域の輪

優しい心を要に43年
障害の有無関係なくホッと一息(2012/09/04)

高島手話サークル 扇の会


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藤野さち子さんの進行で手話を学び語り合う扇の会メンバー(高島市今津町、今津東コミュニティセンター)

 高島手話サークル扇の会が生まれたのは1969年のこと。滋賀県立聾話学校を卒業し、現・高島市内の企業に就職した若者数人が、仲間で雑談する場所が欲しいと小さなサークルをつくった。この時、同じ会社で働いていた健聴者の藤野明夫さん(66)が加わり、聞こえない人、聞こえる人が隔てなく集う会の原型ができた。

 ほどなくメンバーは大津市で開かれた手話講座で学ぶ機会を得、サークルで手話の勉強をするようになる。数年後に加わった藤野さんの妻さち子さん(64)は「当時は『手話のサークルに入っています』と言うと、『シワって何?』と聞き返されるような、社会の関心が薄い時代でした」と振り返る。

 会場は5カ所変わり、メンバーも転居などで入れ替わったが、夫妻は週1回の会に必ず出席、要になって世話をした。出欠を取るでも会費を集めるでもない自由参加の会が長年続く大きな力だった。

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 会は毎週木曜日の夜、JR近江今津駅近くの今津東コミュニティセンターで開く。取材日は午後6時半の定刻に7、8人が集まった。進行役はさち子さん。初めに一人ずつが最近の出来事を手話で報告する。けがをして作業所を休んだという田中裕典さん(38)の話に皆が心配顔。琵琶湖でスッポンを捕ったという明夫さんの話には興味が集まる。次いで質問形式の会話に移る。したいことは? 行きたい所は? 困っていることは? 「チューハイが飲みたい」「映画を見に行きたい」「職場で話すことができない」…。習熟度はさまざま。教えるさち子さんは、新しい言葉が出てくれば、聴覚障害があるメンバーに、分かりやすい手話を尋ねながら進めていく。

 当夜が3回目の男性(60)がいた。中途失聴で手話は全く分からない。さち子さんは普段は使わないホワイトボードに進行内容の要点を板書。周囲のメンバーがメモ書きでサポートする。男性は「皆さんが私の状況を理解し気遣ってくださる。手話は難しいけれど来るのが楽しいです」という。福祉施設職員の駒井英里子さん(37)は通い始めて17年ほど。「ここはホッと一息つける場所」と、仕事が終わると駆けつける。作業所で手話サークルに入っている田中美紗さん(23)と朗らかに雑談を弾ませていた。最後はいつものように手話を使った歌を皆で合唱して締めくくり。この日は13人の参加だった。

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 発足時から社会環境も手話の位置づけも変わり、会も変化してきた。聴覚障害のほか知的障害がある人も参加する。藤野夫妻のように、手話で多くの人とつながりたいと始めた世古敬子さん(70)や田野豊子さん(60)ら健聴者も多くいる。手話をきっかけにいろんな人が集い互いに学び、助け合う場所になってきた。定例の集まりのほか、時々に花見やバーベキューも楽しむ。市民向けには手話を取り入れたコンサートや手話劇、映画会などを主催し、メンバーでボランティア活動もする。

 さち子さんは「日常に難しい手話は必要なく、優しい心があればつながれると思います。そんな技術が広がればいい」と願っている。


高島手話サークル扇の会
高島市新旭町饗庭1657の1(藤野方)
TEL 0740(25)6954、FAX0740(25)6955